京都府京都市にある城。
江戸時代、徳川家の拠点として京都に置いた城である。明治から昭和にかけて皇室の離宮として使用された経緯から、二条離宮とも呼ばれる。
歴史・概略
「関ケ原の戦い」に勝利し実質的な天下人となった徳川家康が、西国諸大名に命じて築城した。他にも足利氏や織田信長、豊臣秀吉の時代に二条城あるいは二条御所などの名で呼ばれる場所があったが、現在見られる二条城とは全く別のもので関係はない。
後にここ二ノ丸御殿内において、家康と秀吉の嫡男・豊臣秀頼との会見が行われた。家康は青年となり立派な姿に成長した秀頼を見て、徳川家の将来に不安を覚え豊臣家を滅ぼす決意をしたともいわれる。
幕末には第15代将軍徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)が、ここ二条城において将軍宣下を受け政務をとった。さらに、慶喜は二ノ丸御殿内に集めた在京諸藩の重臣達を前に大政奉還の意を発表、その翌々日慶喜の政権返上が成立した。これによって徳川政権が終わり、およそ700年に渡って続いた武家政権が終焉を迎えることとなった。
- 築城:慶長8年(1603年)
- 廃城:明治6年(1873年)
- 築城主:徳川家康
- 構造:輪郭式・平城
- 主な城主:徳川氏
- 日本100名城
- 国宝(二ノ丸御殿)
- 世界遺産
- 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い
- 慶長6年(1601年)、二条城築城を開始
- 慶長8年(1603年)、二条城が完成
- 慶長8年(1603年)、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられる
- 慶長11年(1606年)、天守が完成
- 慶長16年(1611年)、豊臣秀頼と徳川家康との会見が行われる
- 慶長20年(1615年)、大阪の陣(豊臣家滅亡)
- 寛永3年(1626年)、後水尾天皇を二条城に招き饗応(二条城行幸)
- 寛延3年(1750年)、落雷により天守焼失
- 慶応3年(1867年)、大政奉還
- 明治6年(1873年)、廃城
- 明治17年(1884年)、二条離宮となる
- 明治27年(1894年)、京都御苑内の旧桂宮邸を本丸へ移築
- 昭和27年(1952年)、国宝に指定
- 平成6年(1994年)、世界遺産に登録
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区二条城町 【付近の史跡】
[ 南・約0.3km ] 神泉苑
[ 南西・約0.3km ] 東町奉行所跡(京都)
[ 北東・約0.3km ] 冷然院跡
[ 東・約0.3km ] 橋本左内寓居跡
[ 東・約0.3km ] 堀河天皇里内裏址
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主な施設 |
二ノ丸御殿・本丸御殿・二ノ丸庭園・本丸庭園・清流園・旧二条城石垣 |
利用時間 |
8:45 ~ 17:00 【二ノ丸御殿】 9:00 ~ 16:00 |
定休日 |
年末年始 火曜日(1月・7月・8月・12月) (休日の場合その翌日) |
料金 |
大人600円 中高生350円 小学生200円 |
交通 |
【電車】 ・京都地下鉄「二条城前」駅から約0.2Km 【バス】 ・市バス「二条城前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km ・駐車場あり |