現在の京都市にあった平安時代の藤原氏の屋敷跡、および里内裏跡。(現在は石碑なし)
歴史・概略
- 京都の観光地のひとつである二条城の西側(現在のHOTEL THE MITSUI KYOTO・ANAクラウンプラザホテル京都・京都堀河音楽高等学校付近)には、かつて堀河院と呼ばれる南北2町東西1町に及ぶ広大な屋敷があった。その歴史は、史上初めて関白に就任した平安時代初期の権力者・藤原基経(ふじわら・もとつね)が屋敷を構えたことに始まり、基経は屋敷の名から堀河大臣と称された。その後、関白・藤原兼通(別名堀河殿)の屋敷となって改修が施され、円融天皇(えんゆうてんのう)の中宮(藤原媓子)が兼通の娘であった繋がりから円融天皇が里内裏とした。
平安時代後期には、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇が里内裏としている。 - 嘉承2年(1107年)、堀河天皇が邸内で崩御。
- 保安年間(1120年~1123年)、火災によって焼失、以降は再建されなかった。
- 江戸時代、徳川家康の子・結城秀康を祖とする福井藩邸が置かれ、石碑が立てられている。
見どころ・おすすめ
- ここは石碑のみの史跡なのでわざわざ目指すことはないと思う。二条城のすぐ目の前にあるのでそのついでにでも回るのがよいかと。
- 周辺には冷然院跡や閑院内裏跡、東三条殿跡、高松殿跡といった同時代の御所跡が点在しているのでそれらも一緒に回るとよい。
史跡情報
地図 |
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【場所】
京都府京都市中京区東堀川通二条下る |
主な施設 |
石碑のみ(現在石碑なし) |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.2Km 【バス】 ・市バス「二条城前」「堀川御池」バス停 ・京都バス「堀川御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約7Km |