継体天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 05:08:07 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 継体天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 今城塚古墳(継体天皇陵) https://rekishidou.com/imashiroduka-kofun/ https://rekishidou.com/imashiroduka-kofun/#respond Sat, 19 Dec 2015 12:05:00 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=63 墳丘の長さ190メートル、二重の濠をもった巨大な前方後円墳で、6世紀前半に没した継体天皇(第26代)の真陵とされる。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 古墳内は公園として整備され、ところどころに設置された案内も豊富で学びながら古墳を回ることができる。
  • 今城塚古代歴史館-今城塚古墳に関する展示館。
]]>
https://rekishidou.com/imashiroduka-kofun/feed/ 0
乙訓寺(早良親王幽閉の地) https://rekishidou.com/otokunidera/ https://rekishidou.com/otokunidera/#respond Fri, 18 Sep 2020 03:36:57 +0000 https://rekishidou.com/?p=10206 京都府長岡京市にある弘法大師ゆかりの真言宗寺院。聖徳太子が建立したと伝わる古刹。

歴史・概略

  • 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)飛鳥時代、推古天皇の勅命によって聖徳太子が建立したと伝わる。だが、当時の痕跡はなく発掘調査などから奈良時代頃の創建ではないかと考えられている。
    また、継体天皇によって営まれた弟国宮(おとくにのみや)(518年~526年)は長岡京市北部にあったと考えられており、乙訓寺周辺が宮跡の有力候補のひとつとなっている。
  • 延暦4年(785年)、藤原種継暗殺事件に加担したとして早良親王(さわらしんのう・桓武天皇弟)が乙訓寺に幽閉。この後親王は絶食によって無実を訴え亡くなったといわれる。
  • 弘仁2年(811年)、空海(弘法大師)が乙訓寺の別当に就任。
  • 弘仁3年(812年)、天台宗を開いた最澄が乙訓寺の空海のもとを訪れ、密教について語り合った。
  • 寛平9年(897年)、宇多天皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。
  • 今では静かなたたずまいといった感じだが、長岡京時代から室町時代にかけて大いに繁栄し、伽藍がいくつも立ち並んでいたとされる。北側に隣接する小学校からはその頃の講堂跡が発掘されており、調査後埋め戻され地下に保存されている。

見どころ・おすすめ

  • 長岡京市・向日町市周辺にはかつての都・長岡京史跡が点在しているので、余力があれば寄ってみればいいかと。

]]>
https://rekishidou.com/otokunidera/feed/ 0
太田茶臼山古墳(継体天皇陵) https://rekishidou.com/odachausuyamakofun/ https://rekishidou.com/odachausuyamakofun/#respond Wed, 07 Feb 2018 02:08:45 +0000 http://rekishidou.com/?p=5713 大阪府茨木市にある5世紀中ごろに造られた古墳。

歴史・概略

  • 太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)は、全長226メートルに及ぶ巨大な前方後円墳で、宮内庁によって継体天皇陵に治定されている。
  • 継体天皇(けいたいてんのう)(450年頃~531年頃)は第15代応神天皇5世の孫とされ、男大迹王(をほどのおおきみ)と記される。後嗣のなかった武烈天皇が崩御した後、大連・大伴金村らによって迎えられ第26代天皇となった。
  • ただし、古墳は周辺の調査などから5世紀中ごろの築造と考えられるため、継体天皇が崩御した時期と実は時代が合っていない。だが、この古墳の少し東側にある今城塚古墳とは時代が合致するため、こちらが継体天皇の真陵であると考えられている。

見どころ・おすすめ

  • 東に継体天皇の真陵とみられる今城塚古墳、太田茶臼山古墳と今城塚古墳の埴輪を制作した大規模なハニワ工房跡などがある。

]]>
https://rekishidou.com/odachausuyamakofun/feed/ 0
樟葉宮跡(継体天皇) https://rekishidou.com/kuzuhanomiya/ https://rekishidou.com/kuzuhanomiya/#respond Sun, 27 Dec 2015 05:04:57 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=453 第26代継体天皇、最初の都である樟葉宮跡の伝承地。

歴史・概略

  • 樟葉宮(くずはのみや)は、507年から511年にかけて都とされた場所。
  • 大阪府枚方市にある交野天神社(かたのてんじんじゃ/かたのあまつかみのやしろ)の奥にある小高い丘の上、貴船神社のある辺りに樟葉宮があったとされる。ただし考古学的な証明はなされていない。
  • 前の武烈天皇が嗣子なしにこの世を去ったことから、大伴金村らは応神天皇5世の孫である男大迹王(をほどのおおきみ・後の継体天皇)を越前から迎えた。男大迹王507年、ここ樟葉宮において即位した。
  • その後筒城宮(つつきのみや)、弟国宮(おとくにのみや)へと都を遷し、大和入りしたのは即位してから20年後のことであった。おそらくは大和の勢力から、かなりの抵抗を受けていたのではないかと考えられる。
  • 継体天皇は、無理のある皇位継承や大和入りの経緯などから、王朝交代説もささやかれている天皇である。
  • 継体天皇の都
    507年 樟葉宮(くずはのみや・大阪府)
    511年 筒城宮(つつきのみや・京都府)
    518年 弟国宮(おとくにのみや・京都府)
    526年 磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや・奈良県)
]]>
https://rekishidou.com/kuzuhanomiya/feed/ 0
筒城宮跡(継体天皇) https://rekishidou.com/tutukinomiya/ https://rekishidou.com/tutukinomiya/#respond Sun, 27 Dec 2015 04:59:09 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=451 第26代継体天皇、第2の都である筒城宮の推定地。

歴史・概略

  • 筒城宮(つつきのみや)は、511年から518年にかけて継体天皇(けいたいてんのう)による都が置かれた場所。
  • 同志社大学の構内、正門を入ったすぐ右手の小高い丘の上に「筒城宮跡」を示す石碑が立っている。ただし、考古学的には何も証明はされておらず、ここの「都谷」という地名に関係性を感じた人たちによって伝承地とされている。
  • 男大迹王(をほどのおおきみ・後の継体天皇)は実に謎の多い天皇で、応神天皇5世の孫であるとされるが確かなことは分かっておらず、生年や没年についても曖昧ではっきりとしない。武烈天皇の死後、大伴金村らによって越前から迎えられた。今の天皇家は継体天皇の末裔である。
  • 継体天皇の都
    507年 樟葉宮(くずはのみや・大阪府)
    511年 筒城宮(つつきのみや・京都府)
    518年 弟国宮(おとくにのみや・京都府)
    526年 磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや・奈良県)
]]>
https://rekishidou.com/tutukinomiya/feed/ 0
史跡新池ハニワ工場公園 https://rekishidou.com/shinikehaniwa/ https://rekishidou.com/shinikehaniwa/#respond Sat, 19 Dec 2015 13:00:41 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=86 古代ハニワを制作していた工房跡。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 作業場と釜は操業当時の建物を復元し、分かりやすく展示されている。また、公園内にあるハニワ工場館では、釜の内部の様子を丁寧に説明している。
]]>
https://rekishidou.com/shinikehaniwa/feed/ 0