乙訓寺(早良親王幽閉の地) | 場所と地図 – 歴史のあと

乙訓寺(早良親王幽閉の地)

乙訓寺 寺社
乙訓寺
ジャンル:寺社
史跡年代:飛鳥時代? ー

京都府長岡京市にある弘法大師ゆかりの真言宗寺院。聖徳太子が建立したと伝わる古刹。

歴史・概略

  • 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)飛鳥時代、推古天皇の勅命によって聖徳太子が建立したと伝わる。だが、当時の痕跡はなく発掘調査などから奈良時代頃の創建ではないかと考えられている。
    また、継体天皇によって営まれた弟国宮(おとくにのみや)(518年~526年)は長岡京市北部にあったと考えられており、乙訓寺周辺が宮跡の有力候補のひとつとなっている。
  • 延暦4年(785年)、藤原種継暗殺事件に加担したとして早良親王(さわらしんのう・桓武天皇弟)が乙訓寺に幽閉。この後親王は絶食によって無実を訴え亡くなったといわれる。
  • 弘仁2年(811年)、空海(弘法大師)が乙訓寺の別当に就任。
  • 弘仁3年(812年)、天台宗を開いた最澄が乙訓寺の空海のもとを訪れ、密教について語り合った。
  • 寛平9年(897年)、宇多天皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。
  • 今では静かなたたずまいといった感じだが、長岡京時代から室町時代にかけて大いに繁栄し、伽藍がいくつも立ち並んでいたとされる。北側に隣接する小学校からはその頃の講堂跡が発掘されており、調査後埋め戻され地下に保存されている。

見どころ・おすすめ

  • 長岡京市・向日町市周辺にはかつての都・長岡京史跡が点在しているので、余力があれば寄ってみればいいかと。

史跡情報

地図
【場所】
京都府長岡京市今里
【付近の史跡】
[ 東・約1.6km ] 史跡長岡宮築地跡
[ 南東・約1.6km ] 長岡京発見之地
主な施設
乙訓寺
利用時間
常時(牡丹の時期を除く)
定休日
無休
料金
無料(牡丹の時期を除く)
交通
【電車】
・阪急電車「長岡天神」駅から約1.6Km
・JR「長岡京」駅から約2Km

【バス】
・長岡京コミュニティ「乙訓寺前」「農協乙訓支店前」バス停
・阪急バス「薬師堂」「今里」バス停

【マイカー】
・名神高速「大山崎IC」から約4Km
・駐車場あり
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