源頼義 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 04:09:31 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 源頼義 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 鶴岡八幡宮 https://rekishidou.com/tsurugaoka/ https://rekishidou.com/tsurugaoka/#respond Tue, 07 Apr 2020 10:08:27 +0000 http://rekishidou.com/?p=4807 神奈川県鎌倉市にある平安時代に創建された神社。

歴史・概略

  • 大分県の宇佐神宮・京都府の石清水八幡宮とともに三大八幡宮と呼ばれる(鶴岡八幡宮の代わりに福岡県の筥崎宮とする場合もある)。
  • 康平6年(1063年)、「前九年の役」で奥州を平定した源頼義(みなもと・よりよし)が京都の石清水八幡宮を鎌倉に祀ったことに始まる。
  • 永保元年(1081年)、頼義の子・源義家が修復を行う。
  • 治承4年(1180年)、打倒平家の挙兵をし鎌倉に入った源頼朝(義家の後裔)が現在の場所に遷座。頼義・義家の数多い末裔たちの中で頼朝こそが正統な後継者であることをアピール。
    これ以後は鎌倉の中心的施設となる。
  • 建保5年(1217年)、前将軍源頼家の子(実朝の甥)公暁(こうぎょう)が別当に就任。
  • 建保7年1月27日(1219年2月13日)、将軍源実朝が右大臣昇任を祝うため八幡宮に拝賀。その後実朝が参拝を終え大階段に差し掛かったところで公暁の襲撃を受けて落命、公暁はすぐに討ち取られる。暗殺の際、階段脇の銀杏に公暁が身を隠していたといわれ、この銀杏は「隠れ銀杏」と呼ばれる。
  • 大永6年(1526年)、「鶴岡八幡宮の戦い」により社殿が焼失。
  • 天文9年(1540年)、北条氏綱が社殿を再建。
  • 文政11年(1828年)、江戸幕府11代将軍・徳川家斉によって社殿が造営される。
  • 大正12年(1923年)、関東大震災によって社殿が損壊。
  • 平成22年(2010年)、実朝暗殺の際に公暁が身を隠したと伝わる「隠れ銀杏」が倒壊。

見どころ・おすすめ

  • 鎌倉は鎌倉時代に武家の中心地となり、さらに室町時代には関東支配の中心地となっていたため、数多くの遺構が点在する。これらを巡るだけでも一日ではまったく足らない。腰を据えて何日か掛けて巡った方がよい。
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多賀城跡 https://rekishidou.com/tagajo/ https://rekishidou.com/tagajo/#comments Tue, 16 May 2017 02:54:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=4264 宮城県多賀城市にあった古代城柵跡。

歴史・概略

  • 神亀元年(724年)、大野東人(おおののあずまびと)により築城。陸奥国府や鎮守府が置かれ奈良時代から平安時代にかけて政治や軍事の中心となった。
    「伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱」や貞観の大地震などにより焼失・倒壊を繰り返しその度に再建され、坂上田村麻呂の蝦夷征討の際や「前九年の役」、「後三年の役」の際にも軍事的拠点として機能した。
  • この場所は多賀城の中心にあたり政庁跡が確認されている。
  • 築城:神亀元年(724年)
  • 廃城:不明
  • 築城主:大野東人
  • 構造:古代城柵
  • 主な城主:
  • 日本100名城
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若宮八幡宮(河内源氏屋敷) https://rekishidou.com/wakamiyahachiman/ https://rekishidou.com/wakamiyahachiman/#respond Tue, 26 Apr 2016 00:08:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=1270 平安時代、河内源氏累代の邸宅として使われた六条堀川館跡。

歴史・概略

  • 平安時代中期の武将で河内源氏の棟梁・源頼義(みなもとよりよし)が屋敷を構えたことに始まり、以後河内源氏の本拠地となった。その頼義の子で「前九年の役」「後三年の役」で活躍した源義家(みなもとよしいえ・八幡太郎義家)の誕生地ともされる。
    平清盛(たいらきよもり)の時代には「保元の乱」「平治の乱」を起こした源義朝(みなもとよしとも)が邸宅としていた。
  • 若宮八幡は頼義が邸内に創建した石清水八幡宮の若宮で、六条八幡、左女牛井(さめがい)八幡とも呼ばれ、源氏からの崇敬を得ていたという。

見どころ・おすすめ

  • 若宮八幡から西に行った堀川通りには、邸内にあったとされる左女牛井の跡を示す碑が立っている。

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左女牛井之跡(河内源氏屋敷) https://rekishidou.com/samegai/ https://rekishidou.com/samegai/#respond Sat, 23 Apr 2016 03:29:53 +0000 http://rekishidou.com/?p=1258 京の名水のひとつ左女牛井の跡。平安時代に活躍した武将源頼義源義家ら河内源氏の屋敷跡とされる。

歴史・概略

  • 左女牛井(さめがい)は平安時代より京の名水として知られ、村田珠光千利休なども愛用したとされるが、昭和になって堀河通りの拡張により消滅した。今はその跡を示す石碑のみが立てられている。
  • この辺りには平安時代中期の武将源頼義(みなもとよりよし)によって築かれた六条堀川館があり、それ以後は源氏累代の邸として使用された。左女牛井はこの邸内にあった井戸とされる。
  • 平安時代末期、源義経(みなもとよしつね)が兄の源頼朝(みなもとよりとも)との対立によって都を離れる際に六条堀川館は焼き払われたという。

見どころ・おすすめ

  • ここから少し東行くと邸内にあったといわれる若宮八幡宮がある。

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