保元の乱

保元元年7月11日(1156年8月5日)
平安時代後期、崇徳上皇と後白河天皇の間で行われた戦闘。 鳥羽法皇の崩御により上皇と天皇との間の対立が激化し戦闘へと発展した。上皇側には源為義など、天皇側には平清盛や源義朝などが付き、結果は天皇側の勝利となった。上皇は讃岐へと流され源為義らは処刑された。

京跡・宮跡

白河北殿跡

平安時代後期に使用された白河上皇の院御所跡。後の「保元の乱」の戦闘が起こった場所のひとつ。 白河天皇は平安時代後期の天皇で院政によって政治的な力を強めた...
京跡・宮跡

高松殿跡

平安時代、歴代上皇が院御所とした邸宅跡。 平安時代初期、醍醐天皇の皇子・源高明(みなもとのたかあきら)が邸宅としたことに始まり、白河上皇、鳥羽上皇が院御...
京跡・宮跡

東三条殿跡

平安時代、政治権力の中枢に君臨し続けた藤原氏の邸宅跡。 平安時代初期、藤原氏として初めて摂政に就きその後の藤原氏隆盛の基礎を作った藤原良房がここに屋敷を...
京都

六条判官源為義公塚

平安時代末期、皇位継承問題によって引き起こされた「保元の乱」に敗れて処刑された源為義(みなもとためよし)の墓。 保元元年(1156年)、鳥羽法皇の崩御を...
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