源頼朝 | 場所と地図 – 歴史のあと

源頼朝

久安3年(1147年)~建久10年(1199年)
鎌倉幕府初代将軍。源義朝の三男。妻は北条政子、子に頼家、実朝、兄弟に義経など。「平治の乱」によって伊豆国へ配流となり、その後以仁王の平氏打倒の令旨に呼応して挙兵、平氏を滅ぼすに至った。さらには平氏追討の最大の功労者であった義経を追放し、奥州藤原氏をも滅ぼした。最後は落馬によって死去したといわれる。

古戦場

富士川の戦い(平家越)

治承4年(1180年)に起きた「富士川の戦い」の際、源氏と平氏が対峙した辺りとされ、「平家越」と呼ばれる。 歴史・概略 遡ること二ヵ月前、平家によって伊豆...
寺社

鶴岡八幡宮

神奈川県鎌倉市にある平安時代に創建された神社。 歴史・概略 大分県の宇佐神宮・京都府の石清水八幡宮とともに三大八幡宮と呼ばれる(鶴岡八幡宮の代わりに福岡県...
古戦場

石橋山古戦場(源平合戦)

「治承・寿永の乱(源平合戦)」における戦いのひとつで、「石橋山の戦い」が起こった場所。 歴史・概略 治承4年(1180年)8月、後白河法皇の皇子・以仁王(...
古戦場

しとどの窟(湯河原)

治承4年(1180年)に起こった「石橋山の戦い」において、平家軍に敗れた源頼朝が追撃から逃れるため、隠れ潜んだといわれる洞窟。 歴史・概略 「平治の乱」の...
古戦場

しとどの窟(真鶴)

治承4年(1180年)に勃発した「石橋山の戦い」において敗走した源頼朝が、平家の追撃から身を隠すために潜んだといわれる洞窟。 歴史・概略 この洞窟で追っ手...
その他遺跡

頼朝・義経対面石

平安時代末期に平家打倒の兵を挙げた兄・源頼朝と、それを聞きつけ奥州より駆け付けた弟・源義経が対面を果たした。 八幡神社の一角にこのとき二人が腰かけたとされる対面...