大村益次郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sun, 19 Mar 2023 09:54:11 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 大村益次郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 萩城跡指月公園 https://rekishidou.com/hagijo/ https://rekishidou.com/hagijo/#respond Thu, 03 Mar 2016 11:43:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=2091 山口県萩市にあった城。江戸時代、毛利氏を藩主とした萩藩(長州藩)の藩庁。

歴史・概略

戦国時代、中国の覇者となった毛利元就の嫡孫・毛利輝元豊臣秀吉に仕え、中国地方のほとんどを所領とする大大名となった。しかし、秀吉の死後勃発した「関ケ原の戦い」において、西軍総大将となり敗戦、所領が周防国と長門国の2か国のみと大幅に減封された。その際、それまで居城としていた広島城からの移転先として、慶長9年(1604年)、指月山に築城されたのが萩城である。

幕末には薩摩藩と合わせ長州藩が倒幕の中心勢力となり、長州藩の人材が大政奉還以後の明治新政府の中枢を担った。


松下村塾

幕末から明治にかけて活躍する多くの人材を輩出した松下村塾(山口県萩市)

  • 築城:慶長9年(1604年)
  • 廃城:明治7年(1874年)
  • 築城主:毛利輝元
  • 構造:梯郭式・平山城
  • 主な城主:毛利氏
  • 日本100名城
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大村益次郎卿遭難之碑 https://rekishidou.com/omurasonan/ https://rekishidou.com/omurasonan/#respond Sun, 06 Mar 2016 01:23:37 +0000 http://rekishidou.com/?p=2058 幕末から明治初期にかけて活躍した大村益次郎が刺客に襲われたことを示す碑。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 木屋町一帯は幕末の志士たちの多くが潜伏し社交場としていた場所。至る所に寓居跡や事件現場などが点在する。

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大村益次郎先生寓地址 https://rekishidou.com/omuragukyo/ https://rekishidou.com/omuragukyo/#respond Wed, 13 Mar 2019 02:24:51 +0000 http://rekishidou.com/?p=7438 大村益次郎が大阪で学んでいた時代に居としていた場所。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • この東側には大村が学んだ適塾がある。
  • 大阪は古くより物流の拠点となっており、特にこの中之島のあたりには各藩が置いた蔵屋敷が点在しているので、散策してみるといい。

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適塾(緒方洪庵旧宅) https://rekishidou.com/tekijuku/ https://rekishidou.com/tekijuku/#respond Sun, 03 Mar 2019 00:54:04 +0000 http://rekishidou.com/?p=4752 江戸時代後期、蘭学者の緒方洪庵が大阪に開いた塾。

歴史・概略

  • 緒方洪庵(おがた・こうあん)は、江戸時代後期の備中国足守(あしもり)藩士。後に大阪で医学を学び、天然痘の予防に力を尽くすなどした。
  • 天保9年(1838年)、緒方洪庵が大阪(津村東之町)に蘭学塾を開く。
  • 弘化2年(1845年)、現在地に移転。
  • 文久3年(1863年)、洪庵が江戸で死去。
  • 明治元年(1868年)、適塾を閉鎖。
  • 適塾は洪庵の号「適々斎」に因んで名づけられ、正式名称は「適々斎塾(てきてきさいじゅく)」略して「適々塾」、「適塾」と呼ばれた。
  • 適塾では数千人が入門し、幕末から明治維新にかけて活躍する多くの人材を輩出した。門下生の中には大村益次郎福沢諭吉橋本左内大鳥圭介らがいる。
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兵部大輔大村益次郎公遺址 https://rekishidou.com/omuraishi/ https://rekishidou.com/omuraishi/#respond Sun, 06 Mar 2016 04:35:04 +0000 http://rekishidou.com/?p=2062 明治時代始め軍隊の構築に尽力した大村益次郎が襲撃された宿所跡。

歴史・概略

  • 大村益次郎(おおむら・ますじろう)は、長州藩の医師の家に生まれ医学だけでなく兵学も学んだ人物。藩兵の組織改革を進め、長州征伐戊辰戦争では軍を指揮するなどした。
    そうしたことが認められ明治新政府では幹部となり、それまでの武士の形とは違う軍の体制を整え兵部大輔に任命された。
  • しかし、こうした急激な改革は士族の反発を招く結果となり、明治2年9月4日(1869年10月8日)、京都木屋町にある宿で大村のやり方に反発する浪士たちの襲撃を受けた。大村は大変な深手を負って、襲撃から2カ月後の11月5日に大阪で亡くなった。

見どころ・おすすめ

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