明治時代始め軍隊の構築に尽力した大村益次郎が襲撃された宿所跡。
歴史・概略
- 大村益次郎(おおむら・ますじろう)は、長州藩の医師の家に生まれ医学だけでなく兵学も学んだ人物。藩兵の組織改革を進め、長州征伐や戊辰戦争では軍を指揮するなどした。
そうしたことが認められ明治新政府では幹部となり、それまでの武士の形とは違う軍の体制を整え兵部大輔に任命された。 - しかし、こうした急激な改革は士族の反発を招く結果となり、明治2年9月4日(1869年10月8日)、京都木屋町にある宿で大村のやり方に反発する浪士たちの襲撃を受けた。大村は大変な深手を負って、襲撃から2カ月後の11月5日に大阪で亡くなった。
見どころ・おすすめ
- 高瀬川を挟んだ向かい側には「大村益次郎卿遭難之碑」が建つ。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区木屋町通御池上る 【付近の史跡】
[ 南・約0km ] 桂小五郎・幾松寓居跡
[ 西・約0km ] 象山先生遭難碑
[ 西・約0km ] 大村益次郎卿遭難之碑
[ 北西・約0.1km ] 史跡高瀬川一之船入
[ 北西・約0.1km ] 角倉氏邸址
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「京都市役所前」駅から約0.1Km ・京阪電車「三条」駅から約0.4Km 【バス】 ・市バス「京都市役所前」「河原町御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都東IC」から約7Km |