静御前 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 14 Mar 2023 02:53:13 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 静御前 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 若宮八幡宮(河内源氏屋敷) https://rekishidou.com/wakamiyahachiman/ https://rekishidou.com/wakamiyahachiman/#respond Tue, 26 Apr 2016 00:08:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=1270 平安時代、河内源氏累代の邸宅として使われた六条堀川館跡。

歴史・概略

  • 平安時代中期の武将で河内源氏の棟梁・源頼義(みなもとよりよし)が屋敷を構えたことに始まり、以後河内源氏の本拠地となった。その頼義の子で「前九年の役」「後三年の役」で活躍した源義家(みなもとよしいえ・八幡太郎義家)の誕生地ともされる。
    平清盛(たいらきよもり)の時代には「保元の乱」「平治の乱」を起こした源義朝(みなもとよしとも)が邸宅としていた。
  • 若宮八幡は頼義が邸内に創建した石清水八幡宮の若宮で、六条八幡、左女牛井(さめがい)八幡とも呼ばれ、源氏からの崇敬を得ていたという。

見どころ・おすすめ

  • 若宮八幡から西に行った堀川通りには、邸内にあったとされる左女牛井の跡を示す碑が立っている。

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左女牛井之跡(河内源氏屋敷) https://rekishidou.com/samegai/ https://rekishidou.com/samegai/#respond Sat, 23 Apr 2016 03:29:53 +0000 http://rekishidou.com/?p=1258 京の名水のひとつ左女牛井の跡。平安時代に活躍した武将源頼義源義家ら河内源氏の屋敷跡とされる。

歴史・概略

  • 左女牛井(さめがい)は平安時代より京の名水として知られ、村田珠光千利休なども愛用したとされるが、昭和になって堀河通りの拡張により消滅した。今はその跡を示す石碑のみが立てられている。
  • この辺りには平安時代中期の武将源頼義(みなもとよりよし)によって築かれた六条堀川館があり、それ以後は源氏累代の邸として使用された。左女牛井はこの邸内にあった井戸とされる。
  • 平安時代末期、源義経(みなもとよしつね)が兄の源頼朝(みなもとよりとも)との対立によって都を離れる際に六条堀川館は焼き払われたという。

見どころ・おすすめ

  • ここから少し東行くと邸内にあったといわれる若宮八幡宮がある。

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神泉苑 https://rekishidou.com/shinsenen/ https://rekishidou.com/shinsenen/#respond Mon, 23 May 2016 03:15:40 +0000 http://rekishidou.com/?p=806 平安時代の皇族のための園地。現在は東寺真言宗の寺院。

歴史・概略

  • 延暦13年(794年)平安京遷都時に大内裏の南側に造営された園地で、天皇や公家達が舟を浮かべたり音楽を楽しむなどした。造営当時は南北500m、東西240mに及ぶ広大な園地であったが朝廷の衰えとともに次第に荒廃、北側に隣接する二条城築城時に敷地の大部分が取り込まれて現在の規模となった。
  • 平安時代、東寺空海(弘法大師)西寺守敏(しゅびん)が雨乞いを行ったり、疫病を鎮めるための儀式が行われるなどした。この儀式が元となって祇園祭が生まれたともいわれている。
  • 平安時代後期に活躍した源義経とその愛妾静御前はここで出会ったともいわれる。静御前がここの舞台で雨乞いの舞を舞い、それを義経が見初めたというもの。
  • 江戸時代、弘法大師の雨乞いが行われるなどした縁から東寺真言宗の寺院となった。
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