松平忠輝 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 02 Oct 2023 11:29:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 松平忠輝 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 高島城跡 https://rekishidou.com/takashimajo/ https://rekishidou.com/takashimajo/#respond Wed, 16 May 2018 01:11:21 +0000 http://rekishidou.com/?p=6192 長野県諏訪市にあった城。
江戸時代の諏訪藩藩庁。諏訪の浮城や島崎城とも呼ばれる。

歴史・概略

現在でこそ高島城は諏訪湖湖岸からかなりの距離があるが、築城当時は湖岸に突き出した水城であり「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」とも呼ばれた。しかし、その後干拓が進み現在の姿となった。

  • 築城:文禄元年(1592年)
  • 廃城:明治8年(1875年)
  • 築城主:日根野高吉
  • 構造:平城・連郭式
  • 主な城主:日根野氏、諏訪氏
  • 文禄元年(1592年)、諏訪の領主・日根野高吉(ひねの・たかよし)により築城開始。
  • 慶長3年(1598年)、高島城が完成。
  • 慶長6年(1601年)、諏訪頼水(すわ・よりみず)が入城。以降明治に至るまで諏訪氏が藩主を務める。
  • 寛永3年(1626年)、徳川家康の子・松平忠輝を幽閉。
  • 天和3年(1683年)、松平忠輝が死去。
  • 【日本三大湖城】高島城・膳所城(滋賀県大津市)・松江城(島根県松江市)
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松代城 https://rekishidou.com/matsushirojo/ https://rekishidou.com/matsushirojo/#respond Sun, 17 Jan 2016 04:25:13 +0000 http://rekishidou.com/?p=963 長野県長野市にあった城。江戸時代の松代藩の藩庁。

歴史・概略

永禄3年(1560年)、北信濃の支配を目指す武田信玄が家臣の山本勘助に命じて海津城を築いたことに始まる。

川中島の戦い八幡原の戦い)」では、海津城を見下ろす位置にある妻女山上杉謙信が布陣し、茶臼山に陣を敷いていた武田信玄は海津城に軍を移してにらみ合った。その後、挟み撃ちにしようと考えた武田軍が妻女山と八幡原に軍を展開し、それを察知し前もって山を降りた上杉軍との間で激戦となって両軍とも大きな被害がでた。


妻女山

謙信が陣を敷いた妻女山(長野県長野市)

武田氏滅亡後は織田信長配下の森長可が入るが、直後に「本能寺の変」が起こり、城は放棄された。

その後は田丸直昌森忠政松平忠輝松平忠昌酒井忠勝と次々に城主が代わっていった。落ち着いたのは真田幸村(信繁)の兄である真田信之の入府後で、以降は明治維新に至るまで真田氏が代々藩主を務めた。

  • 築城:永禄3年(1560年)
  • 廃城:明治6年(1873年)
  • 築城主:武田信玄
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主:武田氏・田丸氏・森氏・真田氏
  • 日本100名城
  • 永禄3年(1560年)、武田信玄が海津城を築城
  • 永禄4年(1561年)、八幡原の戦い(川中島の戦い)
  • 天正10年(1582年)、武田氏滅亡
  • 天正10年(1582年)、本能寺の変
  • 慶長5年(1600年)、待城(まつしろ)へ名称変更
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い
  • 元和2年(1616年)、松城へ名称変更
  • 元和8年(1622年)、真田信之が城主となる
  • 正徳元年(1711年)、松代城に改名
  • 享保2年(1717年)、本丸、二ノ丸、三の丸を焼失
  • 弘化4年(1847年)、善光寺地震により建物が大破
  • 明治5年(1872年)、廃城
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