中村一氏 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Fri, 31 Mar 2023 23:17:30 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 中村一氏 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 駿府城公園 https://rekishidou.com/sunpujo/ https://rekishidou.com/sunpujo/#comments Sun, 27 Dec 2015 09:22:22 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=469 静岡県静岡市にあった城。
徳川家康が大御所として晩年を過ごした城として知られる。

歴史・概略

室町時代、駿河を領有する今川氏によって今川館が築かれたことに始まる。以後は今川氏が本拠としたが、今川館の正確な位置の特定には至っていない。

その後今川家の人質となっていた若き徳川家康も駿府で10年ほどを過ごしている。そして織田信長により今川義元が討ち取られ、力を弱めた今川氏は甲斐の武田氏によって城を追われ実質的に滅亡した。

しかし、その武田氏も織田・徳川連合軍によって攻め滅ぼされ、駿河は徳川氏が領有することとなった。家康は新たに駿府城を築城し浜松城から居城を移した。

北条氏滅亡後に駿府城は一旦豊臣系へと代わるが関ケ原の戦いに勝利した徳川氏が再び取り戻した。天下人となった家康は将軍職を秀忠に譲り、大御所として駿府城に隠居する。それに際して全国の大名に命じて修築させ、3重の濠を持ち5層7階の大天守がそびえる大御所が住むに相応しい立派な城となった。

  • 築城:天正13年(1585年)
  • 廃城:明治2年(1869年)
  • 築城主:徳川家康
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主: 徳川氏・中村氏・内藤氏
  • 日本100名城
  • 14世紀、今川氏が今川館を築く
  • 天文18年(1549年)、後の徳川家康今川氏の人質として駿府で生活を送る
  • 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦い
  • 永禄11年(1568年)、武田氏の侵攻を受け今川氏真が敗走
  • 天正10年(1582年)、織田・徳川が武田領へ侵攻し武田氏が滅亡 駿河が徳川領となる
  • 天正13年(1585年)、家康が駿府城の築城を開始、居城とした
  • 天正17年(1589年)、駿府城が完成
  • 天正18年(1590年)、家康が江戸に移封され豊臣系の中村一氏が入封
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い
  • 慶長6年(1601年)、徳川家臣・内藤信成が入封
  • 慶長12年(1607年)、家康が大御所として駿府城に入城
  • 慶長12年(1607年)、天守や本丸など焼失し、修築を開始
  • 慶長14年(1609年)、家康の子・徳川頼宣が入封
  • 慶長15年(1610年)、天守閣完成
  • 元和2年(1616年)、家康が駿府城において死去
  • 寛永2年(1625年)、徳川家光の弟・徳川忠長が入封
  • 寛永12年(1635年)、失火により建物の大半を焼失
  • 寛永9年(1632年)、忠長が改易 これ以後駿府は天領となる
  • 寛永15年(1638年)、御殿、櫓、城門を再建
  • 宝永4年(1707年)、宝永大地震で建物、石垣などに被害
  • 安政元年(1854年)、安政の地震で建物、石垣などに被害
  • 明治2年(1869年)、廃城
  • 明治24年(1891年)、公園となる
  • 明治29年(1896年)、陸軍省に奉納
  • 昭和24年(1949年)、再度公園として整備

見どころ・おすすめ

  • 東御門・巽櫓-復元櫓。駿府城の発掘資料や徳川家康に関する資料館。
  • 坤櫓-復元櫓。
  • 天守台-現在発掘調査中。
  • 家康公像-晩年の家康公の姿を再現した像。
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岸和田城 https://rekishidou.com/kishiwadajo/ https://rekishidou.com/kishiwadajo/#respond Sun, 18 Aug 2019 03:26:46 +0000 http://rekishidou.com/?p=4570 大阪府岸和田市にあった城。江戸時代の岸和田藩藩庁

歴史・概略

  • 応永年間(1394年~1428年)、信濃泰義により築城か。他にも楠木正成の甥であった和田高家が築いたとの伝承があるが信憑性は低いとされている。
  • 応永15年(1408年)、細川氏が城主となる。
  • 天文18年(1549年)、細川晴元三好長慶との間で「江口の戦い」が勃発。細川家の重臣であった松浦氏三好氏に付き城主となる。その後三好長慶の実弟・十河一存の子である信輝松浦氏を継いでいる。
  • 永禄3年(1560年)、三好実休が城を改修。
  • 天正3年(1575年)、松浦信輝が家臣に討たれる。
  • 天正10年(1582年)、蜂屋頼隆が城主となる。
  • 天正11年(1583年)、中村一氏が城主となる。
  • 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦い」に動きを合わせた根来衆や雑賀衆などの反秀吉勢力と交戦。
  • 天正13年(1585年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)による紀州征伐小出秀政が城主となる。
  • 元和5年(1619年)、松平康重(松井松平家)が城主となる。
  • 寛永17年(1640年)、岡部宣勝が城主となる。以降岡部氏が藩主のまま明治に至る。
  • 読み:きしわだじょう
  • 築城:応永年間(1394年~1428年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:信濃泰義?
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主:細川氏・三好氏・小出氏・松井松平氏・岡部氏
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