六勝寺 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 06:04:26 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 六勝寺 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 二条大路末北築地塀地業石(最勝寺跡) https://rekishidou.com/nijoojikitatsuiji/ https://rekishidou.com/nijoojikitatsuiji/#respond Sun, 22 Sep 2019 04:02:22 +0000 https://rekishidou.com/?p=8942 平安京の北東・白河に残された平安時代後期のものとみられる築地塀跡。

歴史・概略

  • 岡崎公園の駐車場建設における発掘調査で、平安時代後期の二条大路末の北側築地塀の基礎であったとみられる地業石が出土、そのまま岡崎公園の一角に復元展示されている。二条大路末とは、平安京の二条大路より鴨川の東側にそのまま伸ばした道路で、道幅は30メートルほどあったといわれる。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 鴨川の東は白河と呼ばれ、平安時代初期の公卿・藤原良房が白河に別業(別荘)を営んで以来、屋敷や寺院の建立が続いた。平安時代後期になると、二条大路末北側に白河上皇が御所を置き、周辺には天皇の御願寺が相次いで建てられるなど、およそ100年続いた院政期の政治が行われた中心地のひとつとなった。
    地業石が置かれた場所は、鳥羽天皇の御願寺のひとつ最勝寺があった場所と推定されている。
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法勝寺金堂基壇跡 https://rekishidou.com/hossyoji/ https://rekishidou.com/hossyoji/#respond Sat, 21 Sep 2019 11:44:43 +0000 https://rekishidou.com/?p=8938 平安時代後期に白河天皇が建立した法勝寺の伽藍跡。

歴史・概略

  • 法勝寺(ほっしょうじ)は、承保3年(1076年)白河天皇の御願によって建立された寺院で、後に六勝寺と呼ばれる複数の寺院の中で最大の規模であった。中でも八角九重塔は高さが約80メートルあったと言われ、これは日本の歴史上最も高い塔である。そして、この場所には金堂が建てられ、特に案内はないが基壇が残されている(一段高くなった部分)。
  • 法勝寺復元模型

    法勝寺復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • もともとこの場所には、平安時代初期の公家・藤原良房が造営した藤原氏の屋敷があり、藤原師実の代に白河天皇に献上され、天皇はその場所に法勝寺を建立した。
  • その後も白河の地には、尊勝寺最勝寺・円勝寺・成勝寺延勝寺など天皇家ゆかりの寺が次々と建てられた。これらの寺は勝の字を含んでいることから、総称して六勝寺と呼ばれる。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 法勝寺は天皇家の氏寺として手厚い保護を受けたが、度重なる火災や戦乱などにより室町時代後期には廃寺となった。
  • この東には白河院跡(法勝寺跡)が、京都動物園内には九重搭址を示す碑が立てられている。
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尊勝寺跡 https://rekishidou.com/sonsyoji/ https://rekishidou.com/sonsyoji/#respond Thu, 19 Sep 2019 11:38:26 +0000 https://rekishidou.com/?p=8917 平安時代、平安京の北東に建立された尊勝寺の跡。

歴史・概略

  • 尊勝寺(そんしょうじ)は、平安時代後期堀河天皇の御願によって建立された寺院で、康和4年(1102年)に落慶供養が行われた。京都白河に天皇家が建立した六つの御願寺(六勝寺)のひとつ。
  • 六勝寺の中では最も調査が進んでおり、この場所には観音堂があったと推定されている。
  • 六勝寺の始まりは白河天皇が建立した法勝寺(ほっしょうじ)で、その後も尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺延勝寺と、天皇家の御願による寺院が次々に建立されていった。すべてに勝の字を含んでいるため、これらの寺を総称して六勝寺と呼ぶ。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 平安時代後期白河天皇に始まる院政の時代であり、白河の地には御所が置かれるなどし、政治の表舞台ともいえる場所であった。しかし、武家の時代になると権力は失われ、火災や戦乱に見舞われるなど次第に勢力は衰え、京都が荒廃する原因ともなった「応仁の乱」以降はほぼすべて廃絶してしまった。

見どころ・おすすめ

  • この周辺は六勝寺跡や御所跡など、院政時代の史跡が多い場所なので、それらを全部まとめて巡ってみるのがおすすめ。

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延勝寺跡 https://rekishidou.com/ensyoji-3/ https://rekishidou.com/ensyoji-3/#respond Wed, 18 Sep 2019 05:03:16 +0000 https://rekishidou.com/?p=8915 平安時代後期、平安京北東の白河に建立された延勝寺の跡。

歴史・概略

  • 延勝寺(えんしょうじ)は、平安時代後期近衛天皇により建立され、久安5年(1149年)に落慶供養が行われた。「みやこめっせ」から東大路通にかけての東西二町、南北一町ほどの規模であったと推定されており、この場所の他「みやこめっせ」前にも延勝寺跡を示す石碑が立っている。
  • 延勝寺は、京都白河に天皇家が建立した六つの御願寺(六勝寺)のうちのひとつで、白河天皇法勝寺(ほっしょうじ)を建立したことに始まり、その後、尊勝寺最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺と次々に建立されていった。すべてに勝の字を含んだこれらの寺を総称して六勝寺と呼ぶ。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 平安時代後期白河天皇から始まる院政の時代で、白河の地には御所が置かれるなど、政治の表舞台であった。しかし武家の時代になると権力は失われ、火災や戦乱に見舞われるなど勢力は次第に衰えていき、京都を中心に起こった「応仁の乱」以降はほぼすべて廃絶してしまった。

見どころ・おすすめ

  • 御願寺(六勝寺)跡や御所跡など、周辺には院政期の史跡が点在している。石碑や案内などが置かれているので回ってみるのがおすすめ。

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成勝寺跡 https://rekishidou.com/seisyoji/ https://rekishidou.com/seisyoji/#respond Fri, 09 Aug 2019 00:42:51 +0000 http://rekishidou.com/?p=7145 平安時代後期、平安京北東にある白河に建立された成勝寺の跡。

歴史・概略

  • 成勝寺(せいしょうじ・じょうしょうじ)は、平安時代後期崇徳天皇(すとくてんのう)により建立され、保延5年(1139年)に落慶供養が行われた。京都白河に天皇家が建立した六つの御願寺(六勝寺)のひとつである。
  • 六勝寺(ろくしょうじ)は白河天皇法勝寺(ほっしょうじ)を建立したことに始まり、その後、尊勝寺最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺と次々に建立されていった。すべてに勝の字を含んでいることから、これらの寺は六勝寺と総称して呼ばれる。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 平安時代後期白河天皇に始まる院政の時代であり、白河の地は御所が置かれるなど政治の表舞台ともいえる場所であった。しかし武家の時代になると次第に権力は失われ、火災や戦乱に見舞われても再建する力が衰えていった。京都の街が荒廃する原因ともなった「応仁の乱」の頃には六勝寺はほぼ廃絶したが、成勝寺のみ伏見で復興しその後江戸へ移転した。

見どころ・おすすめ

  • 六勝寺跡や御所跡など院政期に建てられていた建物跡はさすがに残ってはいないが、石碑が置かれているので回ってみるのがおすすめ。

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延勝寺跡 https://rekishidou.com/ensyoji-2/ https://rekishidou.com/ensyoji-2/#respond Sat, 10 Aug 2019 00:42:22 +0000 http://rekishidou.com/?p=7143 平安京北東の白河にあった平安時代に建立された延勝寺の跡。

歴史・概略

  • 延勝寺(えんしょうじ)は、平安時代後期近衛天皇により建立され、久安5年(1149年)に落慶供養が行われた。「みやこめっせ」から東大路通にかけての東西二町、南北一町ほどの規模であったと推定されている。
  • 延勝寺は、京都白河に天皇家が建立した六つの御願寺(六勝寺)のうちのひとつで、白河天皇法勝寺(ほっしょうじ)を建立したことに始まり、その後、尊勝寺最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺と次々に建立されていった。すべてに勝の字を含んだこれらの寺を総称して六勝寺と呼ぶ。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • 平安時代後期白河天皇に始まる院政の時代で、白河の地は御所が置かれるなど政治の表舞台であった。しかし武家の時代になると、権力は失われ火災や戦乱に見舞われるなどして次第に勢力は衰退。そして京都の町に多大な被害を及ぼした「応仁の乱」以降はほぼすべて廃絶してしまった。

見どころ・おすすめ

  • 琵琶湖疏水を渡った側にも延勝寺跡の石碑が立てられている。

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白河院跡(法勝寺跡) https://rekishidou.com/shirakawain/ https://rekishidou.com/shirakawain/#respond Thu, 08 Aug 2019 00:59:14 +0000 http://rekishidou.com/?p=1082 藤原氏の別荘、および白河上皇が建立した法勝寺(ほっしょうじ)の跡。

歴史・概略

  • 白河院は、平安時代初期の公家で藤原氏全盛の礎となった藤原良房が、この場所に別業(別荘)を営んだことに始まり、白河殿や白河第などと呼ばれた。その後は摂関家嫡流に受け継がれ、師実の代になって時の天皇・白河天皇に献上された。
  • 承保2年(1075年)、白河天皇により法勝寺を造営。
  • 承暦元年(1077年)、金堂の落慶供養が執り行われる。
  • 永保3年(1083年)、八角九重塔と愛染堂が完成。八角九重塔跡地の京都市動物園内には、九重塔跡碑が立っている。
  • 法勝寺復元模型

    法勝寺復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • その後、法勝寺は天皇家から厚い保護を受け、以降もこの周辺には尊勝寺最勝寺・円勝寺・成勝寺延勝寺など、天皇家ゆかりの寺が次々と建てられていった。
    すべてに勝の字が含まれているこれらの寺を総称して六勝寺と呼ぶ。
  • 平安京白河付近の復元模型

    平安京白河付近の復元模型(平安京創生館・京都府京都市)

  • しかし、その後の度重なる火災や戦乱などにより、室町時代後期には廃絶した。

見どころ・おすすめ

  • 岡崎周辺には六勝寺や御所跡など、院政期の跡地が点在しているのでまとめて回ればよいかと。

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