京都に建てられた崇徳上皇の御廟。
歴史・概略
- 崇徳天皇(すとくてんのう)は、平安時代末期に在位した第75代天皇。白河法皇や鳥羽上皇の院制下において即位、後に鳥羽上皇によって譲位させられている。
- 鳥羽法皇が崩御した際には後白河天皇と主導権を巡り対立、武家を巻き込んで戦闘へと発展した(保元の乱)。
この戦いで敗者となった崇徳上皇は、讃岐に配流の身となり、京都へ戻ることを望んだが京都の地を踏むことなく、讃岐で崩御した。 - 崇徳上皇の寵愛を受けたといわれる阿波内侍は、御遺髪をもらい受けこの場所に塚を築いたと伝わっている。
- その後京都で異変が起こるたび、崇徳上皇の怨霊であるとの噂が立ち、御霊を鎮めるための社などが建てられた。しかし、それも時が経つとともに失われ、現在はここを残すのみとなっている。
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府京都市東山区祇園町南側 【付近の史跡】
[ 東・約0.3km ] 圓徳院(北政所隠棲地)
[ 東・約0.3km ] 御陵衛士屯所跡(月真院)
[ 西・約0.5km ] 阿国歌舞伎発祥地
[ 南西・約0.5km ] 六波羅蜜寺(平氏六波羅第・六波羅探題府址碑)
[ 東・約0.6km ] 京都霊山護国神社
|
主な施設 |
御廟 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「祇園四条」駅 ・阪急電車「河原町」駅 ・地下鉄「東山」駅 【バス】 ・市バス/京都バス/京阪バス「東山安井」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都東IC」から約7Km |