藤原鎌足 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Thu, 06 Apr 2023 00:30:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 藤原鎌足 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 阿武山古墳(藤原鎌足墓) https://rekishidou.com/abuyamakofun/ https://rekishidou.com/abuyamakofun/#respond Wed, 04 Apr 2018 05:02:14 +0000 http://rekishidou.com/?p=6443 阿武山古墳(あぶやまこふん)は大阪府高槻市・茨木市にある古墳で、飛鳥時代の有力者であった藤原鎌足の墓であるとされる。

歴史・概略

  • 藤原鎌足(ふじわら・かまたり)は、飛鳥時代中大兄皇子(天智天皇に仕えた人物で、蘇我入鹿を暗殺した事件「乙巳の変」を起こしたうちのひとり。後の藤原氏の基礎を築いたことで知られる。
    他に中臣鎌子(なかとみ・かまこ)中臣鎌足(なかとみ・かまたり)を名乗った。
  • 昭和9年(1934年)、建設工事中に発見された古墳で、埋葬当時には最高のものであったとされる夾紵棺(きょうちょかん)と呼ばれる棺が出土した。中には装飾品と60歳前後の男性人骨が残っており、これらのことから「貴人の墓」として注目を浴びた。
  • 長い間、鎌足の墓はここから南西2キロにある将軍塚であるとされてきた。しかし、当古墳が発見され、その後の出土品の検証が進んだことで、現在はこちらが鎌足の墓と考えられるようになっている。
  • その理由としては、もともと鎌足の墓とされていた将軍塚からもさほど離れていないこと。死亡時の年齢と合致していること。人骨のレントゲン調査から骨折の様子が判明し、これが鎌足死亡時の状況と合致すること。そして、出土した装飾品が織冠(しょっかん)と呼ばれる冠であった可能性があり、織冠を授かった人物が鎌足しかいないことなどがあげられる。

見どころ・おすすめ

  • 阿武山古墳の発見以降は、あまり注目されることはなくひっそりとした印象であるが将軍塚もいっしょにまわるのがおすすめ。
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飛鳥宮跡(岡本宮・板蓋宮・浄御原宮) https://rekishidou.com/asukanomiya/ https://rekishidou.com/asukanomiya/#respond Mon, 28 Dec 2020 05:13:59 +0000 http://rekishidou.com/?p=4463 奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代の宮跡。

歴史・概略

  • 飛鳥宮(あすかのみや)跡は、6世紀末から7世紀末にかけて営まれた宮跡。その間、連続して使用されたわけではなく、造営されてはたびたび遷宮を繰り返し、断続的に使用された。
  • 痕跡は大きく次の3つの時期に分類されている。
    【1】岡本宮(おかもとのみや/舒明天皇
    【2】飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや/皇極天皇
    【3】岡本宮(斉明天皇)・飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや/天武天皇持統天皇
  • 舒明天皇2年(630年)、舒明天皇によって小墾田宮(おはりだのみや)から岡本宮に遷宮。
  • 舒明天皇8年(636年)、岡本宮が焼失。田中宮に遷宮。
  • 皇極天皇2年(643年)、皇極天皇によって小墾田宮から板蓋宮に遷宮。
  • 皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、古代史最大のクーデターと言われる「乙巳の変(いっしのへん)」が起こる。
    板蓋宮で行われた儀式において、中臣鎌足(藤原鎌足中大兄皇子(天智天皇らが、大臣である蘇我入鹿を襲撃し暗殺した。翌日には、入鹿の父・蘇我蝦夷も討たれ蘇我本宗家が滅亡。
  • 蘇我入鹿首塚

    「乙巳の変」により暗殺された蘇我入鹿首塚(奈良県高市郡明日香村)

  • 孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日)、皇極天皇が譲位。これが歴史上初めての譲位とされる。後には弟の軽皇子(かるのみこ・孝徳天皇が即位。
  • 大化元年6月19日(645年7月17日)、孝徳天皇が史上初の元号となる「大化」を制定。
  • 大化元年12月9日(646年1月1日)、孝徳天皇難波長柄豊碕(なにわながらとよさきのみや)に遷都。
  • 斉明天皇元年1月3日(655年2月14日)、皇極上皇が板蓋宮において史上初となる重祚(ちょうそ)を行い、斉明天皇として即位した。
  • 斉明天皇元年(655年)、板蓋宮が焼失。川原宮に遷宮。
  • 斉明天皇2年(656年)、斉明天皇が岡本宮に遷宮。
  • 斉明天皇6年(660年)、斉明天皇が百済救済のため出兵を決断、岡本宮を離れた。難波宮を経て九州に宮を遷し、翌年崩御。
  • 天武天皇元年(672年)、「壬申の乱(じんしんのらん)」。
    戦いに勝利した大海人皇子(天武天皇)が天智系の都であった大津京から都を遷すべく、飛鳥浄御原宮を造営。
  • 天武天皇2年(673年)、天武天皇即位。
  • 朱鳥元年(686年)、天武天皇崩御。
  • 持統天皇4年(690年)、持統天皇即位。
  • 持統天皇8年(694年)、持統天皇によって藤原京に遷都。

【日本のおもな首都】

遷都年 みやこ 所在地 遷都時の天皇
593年(崇峻天皇5年) 飛鳥京(あすかきょう) 奈良県 推古天皇
645年(大化元年) 難波京(なにわきょう) 大阪府 孝徳天皇
655年(斉明天皇元年) 飛鳥京(あすかきょう) 奈良県 斉明天皇
667年(天智天皇6年) 大津京(おおつきょう) 滋賀県 天智天皇
672年(天武天皇元年) 飛鳥京(あすかきょう) 奈良県 天武天皇
694年(持統天皇8年) 藤原京(ふじわらきょう) 奈良県 持統天皇
710年(和銅3年) 平城京(へいじょうきょう) 奈良県 文武天皇
740年(天平12年) 恭仁京(くにきょう) 京都府 聖武天皇
744年(天平16年) 難波京(なにわきょう) 大坂府 聖武天皇
745年(天平17年) 紫香楽宮(しがらきのみや) 滋賀県 聖武天皇
745年(天平17年) 平城京(へいじょうきょう) 滋賀県 聖武天皇
784年(延暦3年) 長岡京(ながおかきょう) 京都府 桓武天皇
794年(延暦13年) 平安京(へいあんきょう) 京都府 桓武天皇
1180年(治承4年) 福原京(ふくはらきょう) 兵庫県 安徳天皇
1180年(治承4年) 平安京(へいあんきょう) 京都府 安徳天皇
1869年(慶応4年) 東京(とうきょう) 東京都 明治天皇

平城京大極殿

平城京大極殿(奈良県奈良市)

見どころ・おすすめ

  • 周辺には飛鳥京跡苑池遺跡・飛鳥池工房遺跡・酒船石遺跡・川原寺跡など、飛鳥宮を構成する遺跡群が多数存在している。
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将軍塚(大織冠神社・藤原鎌足墓) https://rekishidou.com/syogunduka-2/ https://rekishidou.com/syogunduka-2/#respond Wed, 04 Apr 2018 02:20:34 +0000 http://rekishidou.com/?p=6441 大阪府茨木市にある古墳。
飛鳥時代の有力者であった藤原鎌足の墓であるとされる。

歴史・概略

  • 藤原鎌足(ふじわら・かまたり)は、摂津安威(大阪府茨木市)に葬られた後に大和多武峯(とうのみね)に改葬されたとの説から、江戸時代頃からこの古墳があてられ、祠を建てるなど藤原氏の一族より手厚い保護を受けていた。
    大織冠神社の大織冠(だいしょくかん)とは、飛鳥時代の最上位の冠位で鎌足のみに与えられたとされる。
  • 昭和9年(1934年)、北東2キロほどの場所に阿武山古墳が発見された。発掘調査により、そこから鎌足がもらったであろう織冠と思われる冠が出土、さらには一緒に見つかった人骨の様子などの調査も進み、今ではそちらが鎌足の墓とする説が有力である。

見どころ・おすすめ

  • 鎌足の本当の墓とされる阿武山古墳は、ここからさほど遠くないので一緒に回れる。
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