畠山政長 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 14 Mar 2023 03:22:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 畠山政長 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 応仁の乱勃発地(御霊神社) https://rekishidou.com/ouninnoran/ https://rekishidou.com/ouninnoran/#respond Sun, 20 May 2018 03:19:54 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=333 室町時代中期、「応仁の乱」が始まるきっかけとなる御霊合戦が行われた場所。

歴史・概略

  • 御霊合戦(ごりょうがっせん)とは応仁元年(1467年)1月18日朝、上御霊神社境内において畠山政長(はたけやま・まさなが)畠山義就(はたけやま・よしひろ/よしなり)との間で行われた戦いで「上御霊神社の戦い」とも呼ばれる。
  • 畠山氏細川氏斯波氏とともに室町幕府を支える三管領家のひとつで、先代管領であった畠山持国が約束を違えて弟の持富ではなく、庶子の義就を後継に指名したことから家中が分裂、以降10年以上に渡り争いが続けられた。一旦は義就が家督を継いで落ち着くものの、その後持富の子である政長が家督を奪う。しかし義就はその後も政長に対する工作を行い、それに焦りを感じた政長と再び戦闘になった。
  • あくまで畠山氏の家督を巡る争いではあったが、これに山名宗全朝倉孝景らが義就に加担し、それに対し幕府の有力者細川勝元が反発、この戦いをきっかけとして政権が分裂した。さらには将軍後継問題なども加わって、この先10年以上に及ぶ日本全土に波及する大乱へと拡大、室町幕府の権威が揺らぐ事態となった。
  • <応仁の乱のおもな戦い>
    御霊合戦・上京の戦い・東岩倉の戦い・相国寺の戦い・観音寺城の戦い・西岡の戦い・若江城の戦い

見どころ・おすすめ

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淀古城址・戊辰戦争砲弾貫通跡 https://rekishidou.com/yodokojo/ https://rekishidou.com/yodokojo/#respond Wed, 08 Jun 2016 01:29:00 +0000 http://rekishidou.com/?p=1298 京都府京都市にあった室町時代から安土桃山時代にかけての城。
鳥羽伏見の戦い」における戦場のひとつ。

歴史・概略

京都に近く、桂川、宇治川、木津川が合流する天然の要害に築城された城で、室町時代中頃足利氏の一門・畠山氏によって築城されたとされる。

  • 築城:室町時代中期
  • 廃城:文禄4年(1595年)
  • 築城主:畠山政長
  • 構造:平城
  • 主な城主:薬師寺元一・細川氏綱・三好義継・木村重茲

見どころ・おすすめ

  • 少し南に行くと、江戸時代に建てられた淀城跡がある。
  • この付近は鳥羽伏見の戦いの際に戦場となったため、周辺には戦場跡を示す碑が点在する。

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