細川幽斎 | 場所と地図 – 歴史のあと

細川幽斎

天文3年(1534年)~慶長15年(1610年)
ほそかわ・ゆうさい。他に細川藤孝、長岡藤孝とも。山城勝竜寺城主、丹後宮津城主、丹後田辺城主。三淵晴員の二男。子に忠興など。足利義輝、義昭などに仕えた後織田信長に仕えた。「本能寺の変」が起こると明智光秀の協力要請を断って剃髪し隠居した。

城跡

勝龍寺城跡

京都府長岡京市にあった城。小竜寺城とも呼ばれる。 戦国時代には細川氏の城となり、明智光秀の娘たま(後のガラシャ夫人)が輿入れし、暮らした城として知られる。 歴...
城跡

勝龍寺城土塁 空堀跡

勝龍寺城は室町時代から江戸時代初期にかけて京都府長岡京市にあった城。 勝竜寺城・小竜寺城などの字もあてられる。 歴史・概略 延元4年/暦応2年(1339年...
寺社

本圀寺跡(足利義昭御所)

京都六条堀川にあった日蓮宗寺院・本国寺(本圀寺)の跡。 歴史・概略 貞和元年(1345年)、鎌倉の地より移転。現在の五条通から七条通、堀川通から大宮通に至...
城跡

田辺城

京都府舞鶴市にあった城。舞鶴城とも呼ばれる。 歴史・概略 天正7年(1579年)、丹後を領有した細川藤孝(幽斎)によって築城、その際に地名を田辺と改めた。...
城跡

淀古城址・戊辰戦争砲弾貫通跡

京都府京都市にあった室町時代から安土桃山時代にかけての城。 「鳥羽伏見の戦い」における戦場のひとつ。 歴史・概略 京都に近く、桂川、宇治川、木津川が合流する天...