山南敬助 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 13 Mar 2023 11:15:04 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 山南敬助 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 旧前川邸(新選組屯所) https://rekishidou.com/maekawatei/ https://rekishidou.com/maekawatei/#respond Sat, 23 Apr 2016 01:54:45 +0000 http://rekishidou.com/?p=1068 幕末の京都で活躍した新選組が結成当初に屯所として使用した邸宅跡。

歴史・概略

  • 文久3年(1863年)、清河八郎(きよかわ・はちろう)が働きかけ幕府は将軍上洛警護のため江戸で浪士を募集、集まった浪士たちは江戸から京都に入った。しかし京都で清河の目的が将軍上洛警護ではなく尊王攘夷であると知り浪士たちが反発、あるものは京都に残りあるものは江戸へと戻っていった。京都残留組は当初の目的通り尊王攘夷の取り締まりを行う壬生浪士組を結成、後に新選組となった。
  • 浪士たちは結成当初、八木邸に身を置いていたが人数が増えたため、すぐ向かいにあった前川邸を屯所とし、壬生寺境内で日々の鍛錬を行った。ここでの生活は西本願寺に移るまでの約2年間続いた。
  • この邸内では池田屋事件のきっかけとなった古高俊太郎の拷問や、新選組を脱走しようとした山南敬助の切腹など数々の事件が起こった。

【新選組のおもな出来事】

年号 おもな出来事
文久3年(1863年) ・浪士組を結成し上洛
【屯所】壬生(八木邸前川邸
・壬生浪士組となる
芹沢鴨暗殺
新選組となる
元治元年(1864年) 池田屋事件
禁門の変
元治2年(1865年) ・ぜんざい屋事件
山南敬助切腹
【屯所】西本願寺
慶応2年(1866年) ・三条制札事件
慶応3年(1867年) 伊東甲子太郎らが脱退し御陵衛士を結成
【屯所】不動堂村
・大政奉還
油小路事件
天満屋事件
・王政復古の大号令
【屯所】伏見奉行所
近藤勇が御陵衛士の襲撃を受け負傷
慶応4年(1868年) 戊辰戦争
・近藤勇処刑
明治2年(1869年) 土方歳三戦死
・戊辰戦争終結

見どころ・おすすめ

  • 現在は非公開のため拝観はなし。ただ、八木邸壬生寺が固まってるのでまとめてまわるといいでしょう。

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壬生寺 https://rekishidou.com/mibudera/ https://rekishidou.com/mibudera/#respond Thu, 21 Apr 2016 00:33:39 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=394 延命地蔵菩薩を本尊とする律宗の寺院。幕末に活躍した新選組ゆかりの寺として知られる。

歴史・概略

  • 正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧快賢によって開基された。鎌倉時代の中興の祖・円覚上人が始めたとされる「大念仏狂言」は、今も壬生狂言として毎年春と夏、節分の時期に開催され多くの人に親しまれている。
  • 江戸時代末期、将軍徳川家茂の上洛警護を目的に集まった浪士たちが、京都壬生村の八木邸および前川邸、南部邸に身を置いた。後の新選組となった浪士たちは壬生寺の境内を日々の訓練の場とし、この境内で沖田総司が近所の子供らと遊んだという話も伝わっている。

【新選組のおもな出来事】

年号 おもな出来事
文久3年(1863年) ・浪士組を結成し上洛
【屯所】壬生(八木邸前川邸
・壬生浪士組となる
芹沢鴨暗殺
新選組となる
元治元年(1864年) 池田屋事件
禁門の変
元治2年(1865年) ・ぜんざい屋事件
山南敬助切腹
【屯所】西本願寺
慶応2年(1866年) ・三条制札事件
慶応3年(1867年) 伊東甲子太郎らが脱退し御陵衛士を結成
【屯所】不動堂村
・大政奉還
油小路事件
天満屋事件
・王政復古の大号令
【屯所】伏見奉行所
近藤勇が御陵衛士の襲撃を受け負傷
慶応4年(1868年) 戊辰戦争
・近藤勇処刑
明治2年(1869年) 土方歳三戦死
・戊辰戦争終結

見どころ・おすすめ

  • 壬生塚-新選組隊士たちの墓。
  • 近藤勇像-新選組局長・近藤勇の銅像。
  • 隣地には新選組が屯所とした八木邸が残されており、見学も可能。
  • 南に少し行くとかつて社交場としてにぎわった京都の花街・島原があり、新選組の隊員たちもよく訪れていたと言われる。揚屋のひとつ角屋では見学も可能。

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