歴史・概略
- 元治元年(1864年)、池田屋に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを京都の治安維持組織である新選組隊士たちが襲撃した。襲撃は近藤勇や沖田総司、永倉新八、藤堂平助ら、10名による。この戦闘によって多くの死傷者を出し、逃げ遅れたものは捕縛された。
- 事件は尊王攘夷派の古高俊太郎が、新選組により捕縛されたことに始まる。その後、新選組の厳しい追及によりクーデターを起こす計画が発覚し、これを阻止するために探索を開始した。一方の尊王攘夷派の志士たちは古高捕縛を受けて、今後について話しあうために池田屋に集まっていた。そこへ新選組が到着して事件が起きた。
- そのとき集まった志士たちの中には桂小五郎(木戸孝允)も含まれていたといわれる。しかし、池田屋へやってきたときたまたま早く着いてしまったため、一旦別の場所へと行っている間に襲撃がおこり難を逃れたという。
この事件による尊王攘夷派の損失は大きく倒幕が1年遅れたとも、逆に闘争心に火を点ける結果となって倒幕が早まったともいわれている。 - 事件前後のおもな出来事
1863年 新選組の前身となる壬生浪士組を結成
1863年 八月十八日の政変
1863年 新選組を拝命
1864年 池田屋事件
1864年 禁門の変
1866年 薩長同盟
1867年 大政奉還
見どころ・おすすめ
- 南に500mほど行った場所に事件の発端となった、古高俊太郎邸跡がある。
- 三条大橋にはこの事件の際についたと言われる刀傷があるので探してみるといい。また、三条大橋の東側には事件で犠牲となった志士たちを葬った墓所跡がある。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区中島町 【付近の史跡】
[ 南・約0.1km ] 坂本龍馬寓居趾(酢屋)
[ 北東・約0.1km ] 対馬宗氏屋敷跡
[ 北東・約0.1km ] 吉村寅太郎寓居址
[ 北東・約0.1km ] 武市瑞山先生寓居跡
[ 東・約0.1km ] 豊臣秀次公一族終焉之地(瑞泉寺)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「三条」駅から約0.2Km ・京都地下鉄「三条京阪」「京都市役所」駅から約0.3Km 【バス】 ・市バス/京都バス/京阪バス「河原町三条」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都東IC」から約7Km |