新選組

文久3年(1863年)~明治2年(1868年)
江戸時代末期、京都で高まった倒幕運動などを取り締まるための武装集団。池田屋事件、禁門の変、戊辰戦争などに参加。構成員は近藤勇、芹沢鴨、土方歳三、沖田総司、永倉新八、斎藤一など。

寺社

金戒光明寺

京都府京都市にある浄土宗寺院。通称「黒谷(くろだに)」と呼ばれている。 境内には多くの伽藍が立ち並んでおり、時代劇やドラマなど数多くの撮影に使われている。歴史・概略承安5年(1175年)、法然がこの地に草庵を結んだことに...
その他遺跡

伏見奉行所跡

旧幕府軍と新政府軍が戦った「鳥羽・伏見の戦い」における激戦地のひとつ。歴史・概略伏見は江戸幕府の直轄領で、伏見奉行は幕府が各地に置いた遠国奉行のひとつである。 伏見の町は、京都中心部と大阪や西国とを結ぶ重要な中継地点と...
邸宅・住居跡

角屋

京都の花街・島原にある揚屋のひとつで、今も江戸時代に島原ができた当時の建物が残っている。歴史・概略揚屋とは今の料亭のようなところで、置屋から大夫や芸妓などを呼んで宴を催したりした。幕末にはすぐ近くの壬生に本拠を置いていた新...
事件

中井正五郎殉難地

慶応3年12月7日(1868年1月1日)に起こった天満屋事件の現場となった京都の旅籠・天満屋があった場所。この戦闘で犠牲となった中井正五郎の碑が立つ。歴史・概略この事件の発端となったのは11月15日に発生した坂本龍馬・中岡...
寺社

西本願寺

浄土真宗本願寺派の本山で正式名称は龍谷山本願寺。 一般には西本願寺と呼ばれる。歴史・概略豊臣秀吉の時代、秀吉の寄進によってこの場所に寺院を構えた。秀吉の死後には、東本願寺と西本願寺が分立、今に至っている。 江戸時代末...
事件

伊東甲子太郎外数名殉難之跡

御陵衛士(ごりょうえじ)の伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が新選組に襲撃され絶命した場所。歴史・概略この事件の起こる数か月前の慶応3年3月(1867年4月)、伊東は近藤勇、土方歳三らと対立し新選組から脱退、同じく新選組から...
邸宅・住居跡

新選組最後の洛中屋敷跡

幕末の京都で反幕府勢力の監視や取り締まりなどを行った新選組が置いた3つ目の屯所跡。歴史・概略新選組はこの不動堂村に移る以前、ここから数百メートル北に行った西本願寺に屯所を置いていた。 しかし、隊士らのあまりの振る舞いに、...
邸宅・住居跡

不動堂村屯所跡(新選組)

幕末の京都で市中警護にあたった新選組の洛中最後の屯所となった不動堂村屯所跡。歴史・概略新選組が最初に屯所とした壬生で約2年を過ごし、隊員の増加に伴って西本願寺へと移った。しかし、西本願寺での隊士らの行動は目に余るものがあっ...
邸宅・住居跡

旧前川邸(新選組屯所)

幕末の京都で活躍した新選組が結成当初に屯所として使用した邸宅跡。歴史・概略文久3年(1863年)、清河八郎(きよかわ・はちろう)が働きかけ幕府は将軍上洛警護のため江戸で浪士を募集、集まった浪士たちは江戸から京都に入った。し...
邸宅・住居跡

八木邸(新選組屯所)

江戸時代末期、京都で倒幕勢力の取り締まりに従事した武装集団・新選組の屯所跡。歴史・概略文久3年(1963年)、将軍徳川家茂の上洛警護のため江戸で集められ京都壬生村に入った浪士たちは八木邸および南部邸、前川邸に分宿、彼らは会...
寺社

壬生寺

延命地蔵菩薩を本尊とする律宗の寺院。幕末に活躍した新選組ゆかりの寺として知られる。歴史・概略正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧快賢によって開基された。鎌倉時代の中興の祖・円覚上人が始めたとされる「大念仏狂言」は、今...
邸宅・住居跡

鷹司邸跡(京都御苑)

「禁門の変」の舞台となった鷹司邸があった場所。歴史・概略鷹司家(たかつかさけ)は藤原氏五摂家のひとつで関白や太政大臣などの任に就く家柄であった。幕末期、「八月十八日の政変」によって失った長州藩の勢力を回復するため起こった「...
京跡・宮跡

蛤御門(京都御苑)

京都御苑にある門。「禁門の変」で長州勢力と幕府勢力との戦闘が行われた場所。この門の名をとって「蛤御門の変」とも呼ばれる。歴史・概略蛤御門(はまぐりごもん)は京都御所を守る外郭九門のうちのひとつ。正式には新在家御門だが、御所...
邸宅・住居跡

古高俊太郎邸址

幕末の尊王攘夷派の志士・古高俊太郎が薪炭商を営んでいた枡屋があった場所。歴史・概略古高俊太郎(ふるたか・しゅんたろう)は、大津代官所の手代の子として近江で生まれ、後に京都に移住し尊王攘夷思想に傾倒した人物である。古高はここ...
城跡

五稜郭公園

北海道函館市にある星形の形が美しい幕末の城郭跡。歴史・概略 江戸幕府末期、日米和親条約の締結による函館開港に伴い、奉行所を設置した。しかし函館山から見下ろす位置にあって海からも近かったことから、防御の観点で移転する必要があった。そ...
城跡

鶴ヶ城(会津若松城)

福島県会津若松市にあった城。 江戸時代の会津藩藩庁。会津若松城とも呼ばれる。歴史・概略 南北朝時代の1384年、蘆名氏当主の蘆名直盛によって築城され、代々蘆名氏の城下町として発展した。伊達政宗が蘆名氏を滅ぼした後は政宗が...
墓・慰霊碑

十七烈士の墓(禁門の変)

「禁門の変」に敗れ敗走し、山崎天王山に立て籠もった尊王攘夷派ら17名の墓。歴史・概略元治元年7月19日(1864年8月20日)、「八月十八日の政変」によって追放されていた長州藩や尊王攘夷派らが京都での復権を目指して挙兵、「...
事件

池田屋騒動之址(新選組)

幕末の京都で新選組が起こした池田屋事件のあった場所。歴史・概略元治元年(1864年)、池田屋に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを京都の治安維持組織である新選組隊士たちが襲撃した。襲撃は近藤勇や沖田総司、永倉新八、藤堂平助ら...
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