滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。正式名称は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」で一般的には三井寺(みいでら)として知られる。
7世紀後半に今の滋賀県大津市付近を本貫とする大友氏によって建立され、平安時代の比叡山の僧・円珍によって地位が確立。その後は比叡山延暦寺と対立し、長らく抗争が続いた。
ちなみに三井寺の三井とはもともと御井と表されており、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三代が寺の湧き水を産湯に使ったことに由来する。
近江の優れた風景・名所を集めた近江八景のひとつ「三井晩鐘(みいのばんしょう)」に選ばれており、近江を代表する観光地となっている。
歴史・概略
- 朱鳥元年(686年)、「壬申の乱」に敗北し亡くなった大友皇子(弘文天皇)の皇子・大友与多王(よたのおおきみ)が父の菩提を弔うため寺を建立、天武天皇から園城寺の寺号を与えられた。
- 貞観元年(859年)、円珍が園城寺に入り寺を再興。
- 寛平3年(891年)、円珍が没する。これ以降、比叡山との対立が激化し、焼き討ちなどの抗争がたびたび起こった。
- 治承4年(1180年)、平家打倒の挙兵計画が発覚した以仁王(もちひとおう)が園城寺に身を潜めた。その後南都に向かう途中の宇治平等院で平家軍と交戦、平等院を抜け出した以仁王はその途中で討ち取られた。
- 治承4年(1180年)、反平氏に加担した園城寺が、平重衡(たいら・しげひら)や平忠度(たいら・ただのり)ら平家軍によって焼き討ちを受け、伽藍の多くを焼失。この後、奈良の東大寺や興福寺も焼き討ちしている。
- 建暦元年(1211年)、前将軍源頼家の子公暁(こうぎょう)が公胤(こういん)に弟子入り。
- 建武3年(1336年)、「延元の乱」における戦闘で園城寺は足利氏に味方、北畠顕家(きたばたけ・あきいえ)や新田義貞(にった・よしさだ)ら南朝軍と戦闘が行われ伽藍を焼失。
- 元亀2年(1571年)、織田信長による「比叡山焼き討ち」が行われた際、信長が本陣を置く。
- 文禄4年(1595年)、理由は不明だが豊臣秀吉の怒りにふれ、寺領は没収、寺は事実上の廃寺となった。建物はほかの寺に移築され、仏像も運び出されるなどした。
- 慶長3年(1598年)、秀吉が再興を許可。
見どころ・おすすめ
- 金堂-国宝。秀吉に再考を許された後、慶長4年(1599年)に高台院に寄進されたもの。
- 新羅善神堂(しんらぜんじんどう)-国宝。新羅明神を祀る社。貞和3年(1347年)、足利尊氏により寄進された。
- 鐘楼-重要文化財。「三井の晩鐘」の梵鐘。日本三名鐘のひとつ。
- 閼伽井屋(あかいや)-重要文化財。三井寺の名の由来となった湧き水。
- 大門-重要文化財。徳川家康により伏見城から移築されたもの。
史跡情報
地図 |
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【場所】
滋賀県大津市園城寺町 |
主な施設 |
金堂・新羅善神堂・勧学院・鐘楼・閼伽井屋・大門・三重塔ほか |
利用時間 |
8:00 ~ 17:00 |
定休日 |
無休 |
料金 |
大人600円・中高生300円・小学生200円 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「三井寺」駅から約0.6Km ・JR「大津京」駅から約2Km 【バス】 ・京阪バス「三井寺」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「大津IC」から約4Km ・駐車場あり |