平重衡 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 05:32:26 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 平重衡 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 東大寺 https://rekishidou.com/todaiji/ https://rekishidou.com/todaiji/#respond Sun, 24 Jan 2016 03:25:27 +0000 http://rekishidou.com/?p=873 奈良県奈良市にある華厳宗の大本山。一般には「奈良の大仏」として知られる。

歴史・概略

  • 神亀5年(728年)、聖武天皇(しょうむてんのう)が夭逝した基親王(もといしんのう)の菩提を弔うため、東大寺の前身となる金鐘山寺を建立したことに始まる。
  • 聖武天皇が「大仏造立の詔」を発した当初、近江の紫香楽宮(しがらきのみや)において大仏造立のための工事が始められた。しかし、都を奈良へと戻したため、大仏の造立も奈良の地で行われることとなった。
    講堂や僧坊、東西に並ぶ七重の塔など大仏建立後も次々と造営され、伽藍が整えられていったが、天災や兵火による失火でたびたび焼失した。
  • その後再建を繰り返し、大仏殿や南大門などの建築物、仏像、絵画などの数多くが国宝、重要文化財に指定されている。
  • おもな出来事
    728年 金鐘山寺を建立
    742年 大和金光明寺に改まる
    743年 聖武天皇が「盧舎那大仏造立の詔」を発する
    752年 「大仏開眼供養会」が行われる
    753年 大仏殿が完成
    1181年 兵火によって多くの建物を焼失(治承・寿永の乱
    1195年 源頼朝により再建
    1567年 兵火によって多くの建物を焼失
    1691年 大仏を修理
    1709年 大仏殿が完成
    1998年 世界遺産に登録
  • 国宝(大仏殿・南大門・二月堂・法華堂など)
  • 重要文化財(中門・念仏堂・三昧堂など)
  • 世界遺産(古都奈良の文化財)
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平重衡塚 https://rekishidou.com/shigehiraduka/ https://rekishidou.com/shigehiraduka/#respond Mon, 25 May 2020 03:35:16 +0000 https://rekishidou.com/?p=10081 源平合戦で平家軍を率いた武将のひとり平重衡の墓。

歴史・概略

  • 平重衡(たいら・しげひら)は平氏政権を作り上げた平清盛の五男で、母は宗盛知盛徳子(建礼門院)らと同じ平時子(二位尼)
    治承3年(1179年)に左近衛権中将となり、三位中将と称された。治承4年(1180年)に「治承・寿永の乱(源平合戦)」が始まると平家軍の将のひとりとして各地を転戦した。その際、平家に敵対する近江の園城寺(おんじょうじ)や奈良の東大寺や興福寺などを焼き討ち(南都焼き討ち)したことで知られる。

  • 東大寺

    焼き討ちで大仏が焼失した東大寺(奈良県奈良市)

  • 寿永3年(1184年)、平家軍は一ノ谷の戦いで敗北、重衡は敗走中に源氏軍に捕らえられ鎌倉に護送、捕虜として過ごした。
  • 元暦2年(1185年)、重衡の身柄は南都衆徒に引き渡され、木津川の畔で斬首された。享年29。
    重衡の妻・輔子は遺骸をもらい受け、日野(現在地)に墓を建てたといわれる。

見どころ・おすすめ

  • 日野は貴族・日野氏の領地であり、その一族である親鸞の生誕地とされる法界寺や日野誕生院などからも近いので、ついでに行くといい。
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園城寺(三井寺) https://rekishidou.com/onjoji/ https://rekishidou.com/onjoji/#respond Tue, 24 Nov 2020 05:52:03 +0000 http://rekishidou.com/?p=7639 滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。正式名称は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」で一般的には三井寺(みいでら)として知られる。

7世紀後半に今の滋賀県大津市付近を本貫とする大友氏によって建立され、平安時代の比叡山の僧・円珍によって地位が確立。その後は比叡山延暦寺と対立し、長らく抗争が続いた。
ちなみに三井寺の三井とはもともと御井と表されており、天智天皇天武天皇持統天皇の三代が寺の湧き水を産湯に使ったことに由来する。

近江の優れた風景・名所を集めた近江八景のひとつ「三井晩鐘(みいのばんしょう)」に選ばれており、近江を代表する観光地となっている。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 金堂-国宝。秀吉に再考を許された後、慶長4年(1599年)に高台院に寄進されたもの。
  • 新羅善神堂(しんらぜんじんどう)-国宝。新羅明神を祀る社。貞和3年(1347年)、足利尊氏により寄進された。
  • 鐘楼-重要文化財。「三井の晩鐘」の梵鐘。日本三名鐘のひとつ。
  • 閼伽井屋(あかいや)-重要文化財。三井寺の名の由来となった湧き水。
  • 大門-重要文化財。徳川家康により伏見城から移築されたもの。
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