木曾義仲 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 13 Mar 2023 11:45:13 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 木曾義仲 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 源平倶利伽羅合戦・本陣(倶利伽羅峠の戦い) https://rekishidou.com/kurikaratouge/ https://rekishidou.com/kurikaratouge/#respond Wed, 27 Jan 2016 09:09:53 +0000 http://rekishidou.com/?p=1244 石川県と富山県の県境の山中、源平合戦のひとつ「倶利伽羅峠の戦い」において、平家軍が本陣をおいたとされる場所。

歴史・概略

  • 信濃国木曽において平家打倒の兵を挙げた木曽義仲(源義仲)は、北陸に勢力を伸ばし、奥州の藤原氏や関東の源頼朝らと並ぶ一大勢力となっていた。
  • 平家軍は義仲追討のため、北陸に平維盛(たいら・これもり)を総大将とした大軍を派遣、加賀と越中の国境・倶利伽羅峠(くりからとうげ)に陣を置いた。そして、義仲軍は平家軍が寝静まった頃を見計らい、数百頭の牛の角に松明を括り付け一斉に平家軍に突入させた。この「火牛の計」と呼ばれる策によって平家軍は大混乱に陥り、義仲は見事勝利を収めたと言われる。
  • 木曽義仲に関わるおもな出来事
    1154年 源義賢の次男として生まれる
    1155年 「大蔵合戦」で源義朝により父・義賢が討たれる
    1180年 以仁王が平家追討の令旨を出す
    1180年 挙兵
    1180年 市原合戦
    1181年 横田河原の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1183年 入京
    1184年 宇治川の戦い
    1184年 粟津の戦いで討死
  • 「源平の合戦」のおもな戦闘
    1180年 宇治平等院の戦い
    1180年 富士川の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1184年 一ノ谷の戦い
    1185年 屋島の戦い
    1185年 壇ノ浦の戦い

見どころ・おすすめ

  • この周辺には「倶利伽羅峠の戦い」に関わる史跡が点在しているので、まとめて回るのがよいかと。
  • 「道の駅 倶利伽羅源平の郷」には「倶利伽羅峠の戦い」に関する歴史資料館があるので覗いてみるといい。

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法住寺殿蹟 https://rekishidou.com/hojujidono/ https://rekishidou.com/hojujidono/#respond Sun, 01 May 2016 01:31:04 +0000 http://rekishidou.com/?p=3436 平安時代末期、後白河上皇が拠点とした御所跡。

歴史・概略

  • この地には平安時代中期の公卿・藤原為光によって創建された法住寺があったが、長元5年(1032年)に焼失。その約130年後、後白河上皇が新たな拠点としてこの周辺に御所を造営した。このすぐ北側には権勢を誇った平氏一門が拠点とした六波羅館があり、鴨川の東一帯は権力の中心であった。
  • しかし平清盛の死後、木曽義仲の襲撃にあい法住寺殿は焼失(法住寺合戦)、後白河上皇は幽閉された。

見どころ・おすすめ

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旗挙八幡宮(木曽義仲) https://rekishidou.com/hachimangu-2/ https://rekishidou.com/hachimangu-2/#respond Mon, 01 Feb 2016 02:23:39 +0000 http://rekishidou.com/?p=1350 治承・寿永の乱(源平合戦)」において木曽義仲が挙兵した際、平家打倒の祈願をしたという神社。以後、「旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)」と呼ばれるようになった。

歴史・概略

  • 治承4年(1180年)、以仁王(もちひとおう)が平家追討の令旨を全国の武将に発し、この辺りに居を構えていた木曽義仲(源義仲・当時27歳)が、およそ1000騎を従えて打倒平家の兵を挙げた。
  • この神社のご神木である社殿脇に立つ大ケヤキの古木の樹齢は、およそ800年とされており、丁度その頃に植えられたものとされている。
  • 木曽義仲に関わるおもな出来事
    1154年 源義賢の次男として生まれる
    1155年 「大蔵合戦」で源義朝により父・義賢が討たれる
    1180年 以仁王が平家追討の令旨を出す
    1180年 挙兵
    1180年 市原合戦
    1181年 横田河原の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1183年 入京
    1184年 宇治川の戦い
    1184年 粟津の戦いで討死
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矢立(倶利伽羅峠の戦い) https://rekishidou.com/yadate/ https://rekishidou.com/yadate/#respond Mon, 01 Feb 2016 04:59:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=1335 寿永2年(1183年)、打倒平家に燃える木曽義仲率いる源氏軍と、平維盛率いる平家軍が戦った「倶利伽羅峠の戦い」において、義仲軍が最前線としていた地。

歴史・概略

  • 「倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)」は、寿永2年5月11日(1183年6月2日)に加賀と越中の国境倶利伽羅峠で起こった戦い。源氏軍の大将は木曽義仲(きそ・よしなか)、平家軍の大将は平維盛(たいら・これもり)で、義仲軍が勝利しこの後平家一族を京から追放した。
  • 平家軍はここから200メートルほど谷を隔てた塔乃橋に対峙しており、そのとき平家軍が放った多くの矢がここに突き刺さったことにちなんで、矢立山と呼ばれるようになったという。
  • 木曽義仲に関わるおもな出来事
    1154年 源義賢の次男として生まれる
    1155年 「大蔵合戦」で源義朝により父・義賢が討たれる
    1180年 以仁王が平家追討の令旨を出す
    1180年 挙兵
    1180年 市原合戦
    1181年 横田河原の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1183年 入京
    1184年 宇治川の戦い
    1184年 粟津の戦いで討死
  • 「源平の合戦」のおもな戦闘
    1180年 宇治平等院の戦い
    1180年 富士川の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1184年 一ノ谷の戦い
    1185年 屋島の戦い
    1185年 壇ノ浦の戦い

見どころ・おすすめ

  • このすぐ西側に対峙していた平家軍が陣を布いた塔乃橋があり、さらに西へ行った山頂付近には平家が本陣を置いたという本陣跡がある。

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埴生護国八幡宮(倶利伽羅峠の戦い) https://rekishidou.com/hachimangu/ https://rekishidou.com/hachimangu/#respond Wed, 27 Jan 2016 10:32:59 +0000 http://rekishidou.com/?p=1325 埴生護国八幡宮(はにゅうごこくはちまんぐう)は、奈良時代の創建と伝えられる八幡宮。社殿は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて作られた建物で、国の重要文化財となっている。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 倶利伽羅峠の戦い」は、この西側にある石川県と富山県の県界の山一帯で行われ、戦いの史跡がいくつかあるのでまとめて回るといい。

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