矢立(倶利伽羅峠の戦い) | 場所と地図 – 歴史のあと

矢立(倶利伽羅峠の戦い)

矢立 古戦場
矢立
ジャンル:古戦場
史跡年代:平安時代

寿永2年(1183年)、打倒平家に燃える木曽義仲率いる源氏軍と、平維盛率いる平家軍が戦った「倶利伽羅峠の戦い」において、義仲軍が最前線としていた地。

歴史・概略

  • 「倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)」は、寿永2年5月11日(1183年6月2日)に加賀と越中の国境倶利伽羅峠で起こった戦い。源氏軍の大将は木曽義仲(きそ・よしなか)、平家軍の大将は平維盛(たいら・これもり)で、義仲軍が勝利しこの後平家一族を京から追放した。
  • 平家軍はここから200メートルほど谷を隔てた塔乃橋に対峙しており、そのとき平家軍が放った多くの矢がここに突き刺さったことにちなんで、矢立山と呼ばれるようになったという。
  • 木曽義仲に関わるおもな出来事
    1154年 源義賢の次男として生まれる
    1155年 「大蔵合戦」で源義朝により父・義賢が討たれる
    1180年 以仁王が平家追討の令旨を出す
    1180年 挙兵
    1180年 市原合戦
    1181年 横田河原の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1183年 入京
    1184年 宇治川の戦い
    1184年 粟津の戦いで討死
  • 「源平の合戦」のおもな戦闘
    1180年 宇治平等院の戦い
    1180年 富士川の戦い
    1183年 倶利伽羅峠の戦い
    1184年 一ノ谷の戦い
    1185年 屋島の戦い
    1185年 壇ノ浦の戦い

見どころ・おすすめ

  • このすぐ西側に対峙していた平家軍が陣を布いた塔乃橋があり、さらに西へ行った山頂付近には平家が本陣を置いたという本陣跡がある。

史跡情報

地図
【場所】
富山県小矢部市石坂
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・あいの風とやま鉄道「石動」駅

【バス】

【マイカー】
・北陸自動車道「小矢部IC」から約5Km
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