寿永2年5月11日(1183年6月2日)
越中と加賀の国境、倶利伽羅峠(くりからとうげ)で行われた木曽義仲軍と平家軍との戦闘。いわゆる源平の合戦のひとつで、以仁王の平家打倒の令旨を受け義仲が挙兵、義仲は北陸道を進み平維盛率いる平家軍とぶつかった。数では劣っていた義仲軍であったが、何百頭もの牛の頭に松明を付けて平家軍へ突進させるという奇策によって平家軍に勝利を収めた。
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源平倶利伽羅合戦・本陣(倶利伽羅峠の戦い)
古戦場富山平安時代
石川県と富山県の県境の山中、源平合戦のひとつ「倶利伽羅峠の戦い」において、平家軍が本陣をおいたとされる場所。
歴史・概略
信濃国木曽において平家打倒の兵を...
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巴塚・葵塚
古戦場墓・慰霊碑富山平安時代
源平合戦のひとつ「倶利伽羅峠の戦い」において、木曽義仲率いる源氏軍の一人としてともに戦った女武将・葵御前と巴御前の墓。
歴史・概略
葵御前(あおいごぜん)...
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塔乃橋(倶利伽羅峠の戦い)
古戦場富山平安時代
源氏の木曽義仲と平家の平維盛との間で行われた戦闘「倶利伽羅峠の戦い」が起こった際、平家軍の最前線となった場所。
歴史・概略
「倶利伽羅峠の戦い(くりからと...
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矢立(倶利伽羅峠の戦い)
古戦場富山平安時代
寿永2年(1183年)、打倒平家に燃える木曽義仲率いる源氏軍と、平維盛率いる平家軍が戦った「倶利伽羅峠の戦い」において、義仲軍が最前線としていた地。
歴史・概...
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埴生護国八幡宮(倶利伽羅峠の戦い)
奈良時代安土桃山時代室町時代富山寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代鎌倉時代
埴生護国八幡宮(はにゅうごこくはちまんぐう)は、奈良時代の創建と伝えられる八幡宮。社殿は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて作られた建物で、国の重要文化財となっ...