斎藤一 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 02:13:35 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 斎藤一 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 壬生寺 https://rekishidou.com/mibudera/ https://rekishidou.com/mibudera/#respond Thu, 21 Apr 2016 00:33:39 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=394 延命地蔵菩薩を本尊とする律宗の寺院。幕末に活躍した新選組ゆかりの寺として知られる。

歴史・概略

  • 正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧快賢によって開基された。鎌倉時代の中興の祖・円覚上人が始めたとされる「大念仏狂言」は、今も壬生狂言として毎年春と夏、節分の時期に開催され多くの人に親しまれている。
  • 江戸時代末期、将軍徳川家茂の上洛警護を目的に集まった浪士たちが、京都壬生村の八木邸および前川邸、南部邸に身を置いた。後の新選組となった浪士たちは壬生寺の境内を日々の訓練の場とし、この境内で沖田総司が近所の子供らと遊んだという話も伝わっている。

【新選組のおもな出来事】

年号 おもな出来事
文久3年(1863年) ・浪士組を結成し上洛
【屯所】壬生(八木邸前川邸
・壬生浪士組となる
芹沢鴨暗殺
新選組となる
元治元年(1864年) 池田屋事件
禁門の変
元治2年(1865年) ・ぜんざい屋事件
山南敬助切腹
【屯所】西本願寺
慶応2年(1866年) ・三条制札事件
慶応3年(1867年) 伊東甲子太郎らが脱退し御陵衛士を結成
【屯所】不動堂村
・大政奉還
油小路事件
天満屋事件
・王政復古の大号令
【屯所】伏見奉行所
近藤勇が御陵衛士の襲撃を受け負傷
慶応4年(1868年) 戊辰戦争
・近藤勇処刑
明治2年(1869年) 土方歳三戦死
・戊辰戦争終結

見どころ・おすすめ

  • 壬生塚-新選組隊士たちの墓。
  • 近藤勇像-新選組局長・近藤勇の銅像。
  • 隣地には新選組が屯所とした八木邸が残されており、見学も可能。
  • 南に少し行くとかつて社交場としてにぎわった京都の花街・島原があり、新選組の隊員たちもよく訪れていたと言われる。揚屋のひとつ角屋では見学も可能。

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御陵衛士屯所跡(月真院) https://rekishidou.com/goryoejitonsyo/ https://rekishidou.com/goryoejitonsyo/#respond Mon, 30 Sep 2019 13:04:25 +0000 http://rekishidou.com/?p=3348 京都東山にある豊臣秀吉の妻・ねねゆかりの高台寺の塔頭のひとつ。

歴史・概略

  • 元和2年(1616年)、北政所の従弟・久林元昌(玄昌)が津和野藩主・亀井茲政の力を借りて建立したといわれる。
  • 慶応3年(1867年)3月、新選組の参謀であった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)近藤勇土方歳三らと対立、伊東藤堂平助斎藤一ら隊士を引き連れ離隊し新たに御陵衛士(ごりょうえじ)を結成した。結成当初は、五条橋東詰の長円寺(もしくは善立寺)を屯所としていたが、6月から月真院に移り屯所とした。
  • 御陵衛士は孝明天皇陵を守ることを目的として結成された組織ではあるが、それはあくまで名目にすぎなかった。その活動の主は雄藩を廻って、朝廷のもと日本が一つにまとまって諸外国と対峙するという思想を説くことだったとされる。
  • 同年11月、油小路木津屋橋で新選組隊士らが伊東を暗殺、さらには死体を引き取りに来た隊士をも斬り殺し、残ったものは逃げ出して御陵衛士は壊滅した。
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中井正五郎殉難地 https://rekishidou.com/nakaijunnan/ https://rekishidou.com/nakaijunnan/#respond Mon, 25 Apr 2016 09:59:31 +0000 http://rekishidou.com/?p=3131 慶応3年12月7日(1868年1月1日)に起こった天満屋事件の現場となった京都の旅籠・天満屋があった場所。この戦闘で犠牲となった中井正五郎の碑が立つ。

歴史・概略

  • この事件の発端となったのは11月15日に発生した坂本龍馬中岡慎太郎両名が暗殺された近江屋事件で、陸奥宗光(むつ・むねみつ/後の外務大臣)は紀州藩の犯行であると耳にする。
    宗光は敵討ちのため海援隊・陸援隊隊士や十津川郷士の中井庄五郎らとともに、紀州藩士・三浦休太郎やその護衛として新選組数名(斎藤一など)が潜む天満屋を襲撃、戦闘となった。
  • この戦闘によって襲撃した側と新選組隊士側の双方に死傷者を出したが、襲われた三浦は傷を負ったものの命は助かった。
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