坂本龍馬

天保6年(1836年)~慶応3年(1867年)
幕末の土佐藩郷士。海援隊の前身である亀山社中の結成や中岡慎太郎とともに薩長同盟を後押しするなどした。そして船中八策と呼ばれる考えを後藤象二郎に示し、これによって徳川慶喜を動かし大政奉還に至ったとされる。しかし大政奉還から間もない京都近江屋で中岡とともに暗殺された。

寺社

坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡

京都・青蓮院塔頭のひとつ金蔵寺の跡。幕末期には坂本龍馬とお龍の結婚式が行われた。歴史・概略青蓮院(しょうれんいん)は平安時代末期に開かれた天台宗寺院で、最澄が比叡山の中に建立した青蓮坊をルーツとしている。元は三条白川にあっ...
事件

坂本龍馬避難の材木小屋跡

幕末の伏見で奉行所の役人が船宿寺田屋にいた坂本龍馬を襲撃したいわゆる寺田屋事件の際、逃亡を図った龍馬が身を潜めたといわれる材木小屋の跡。歴史・概略慶応2年1月24日(1866年3月10日)未明、龍馬の捕縛を試みた伏見奉行...
邸宅・住居跡

薩摩島津伏見屋敷跡

江戸時代、薩摩藩が京都伏見に置いた藩邸跡。歴史・概略碑文「江戸時代 薩摩島津伏見屋敷跡」「坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難之地」「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」 伏見は京と大阪、果ては海とを結ぶ物流の中継地点として大...
邸宅・住居跡

寺田屋

京都伏見にあった船宿。幕末の混乱期、薩摩藩同士の粛清が行われたり、坂本龍馬が襲撃を受けたりした寺田屋事件が起きた現場として知られる。歴史・概略伏見は大阪と京都中心部を結ぶ物流の中継地点として栄え、周辺にはいくつかの船宿があ...
邸宅・住居跡

小松帯刀寓居・御花畑屋敷跡・薩長同盟所縁地

幕末の薩摩藩家老であった小松帯刀の寓居跡。「薩長同盟締結の地」とされる。歴史・概略碑文 「小松帯刀寓居跡」 「近衛家別邸 御花畑御屋敷跡」 「薩長同盟所縁之地」 ここには五摂家のひとつ近衛家の別邸である御花畑屋...
寺社

京都霊山護国神社

幕末維新に日本のため活躍した志士たちを祀るため京都東山に建てられた神社。歴史・概略明治元年(1868年)、明治天皇の命によって「霊山官祭招魂社」が建てられ、その後「京都霊山護国神社」と改称された。 祭神の中には京都近江...
邸宅・住居跡

坂本龍馬寓居趾(酢屋)

材木商を営んでいた酢屋は、坂本龍馬が京都滞在中の宿としていた場所で、海援隊の事務所としていた。歴史・概略坂本龍馬(さかもと・りょうま)は、土佐藩士の後藤象二郎(ごとう・しょうじろう)とともに京都を目指すため船で長崎を発ち、...
事件

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地

土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎両名が襲撃を受けた地。歴史・概略大政奉還後の慶応3年11月(1867年)、土佐藩邸向かいにあった醤油商の近江屋において、坂本龍馬と中岡慎太郎が、十津川郷士を名乗る刺客に襲われた。坂本は頭部を斬られ...
タイトルとURLをコピーしました