崇光天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sat, 14 Oct 2023 01:54:48 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 崇光天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 足利将軍室町第址(室町幕府御所) https://rekishidou.com/muromachidai/ https://rekishidou.com/muromachidai/#respond Tue, 08 Mar 2016 03:15:47 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=325 室町幕府の時代、足利将軍家が邸宅としていた室町第(室町邸)があった場所。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • この石碑の他に同じく室町第跡を表す「花の御所碑」と「花の御所石敷き」がまとめて回れる。
  • 他の足利将軍家の遺構である13代将軍義輝邸跡や15代将軍義昭の二条城跡などもここから近いので一緒に回れる。
  • ここは石碑のみなので京都御苑とか「応仁の乱」の史跡巡りとかに組み込むのがよいかと。

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持明院仙洞御所跡 https://rekishidou.com/jimyointei/ https://rekishidou.com/jimyointei/#respond Tue, 20 Aug 2019 01:37:15 +0000 http://rekishidou.com/?p=7133 平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡

歴史・概略

  • 持明院(じみょういん)平安時代後期、陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた藤原基頼(ふじわら・もとより)が、屋敷を構えたことに始まる。持明院の名は、基頼が邸内に建立した持仏堂の名に由来する。
  • 基頼の子・藤原通基が持明院を改築して安楽光院(安楽行院)と改名、持明院は邸宅の名として残り、以降は家号として使われた。
  • 鎌倉時代、高倉天皇の第二皇子・守貞親王(後高倉院)が持明院基家の娘・陳子を妃とし、持明院を御所とした。「承久の乱」の後、二人の間に生まれた皇子・後堀河天皇が即位、幼い天皇に代わって守貞親王がここで院政を行っている。
  • その後、後堀河天皇四条天皇に譲位すると、持明院を御所として院政を行った。後に後嵯峨天皇後深草天皇も御所とし、後深草天皇以降、皇統が別れた後は後深草天皇の子孫である伏見上皇後伏見上皇花園上皇光厳上皇光明上皇崇光天皇が御所とした。この皇統は使われた御所から、持明院統と呼ばれ室町時代初期には北朝となった。
  • 文和2年/正平8年(1353年)、火災により焼失。安楽光院は再建されるが屋敷は再建されなかった。

見どころ・おすすめ

  • 石碑のみで特に何があるわけでもないので「応仁の乱」か聚楽第の史跡巡りや京都御苑のついでに組み込むのがよいかと。

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花の御所石敷き(幕府将軍室町第) https://rekishidou.com/hananogosyo-2/ https://rekishidou.com/hananogosyo-2/#respond Tue, 22 May 2018 01:43:45 +0000 http://rekishidou.com/?p=4068 室町時代、足利将軍家が居所としていた室町殿の跡。室町幕府の名の由来ともなっており、「花の御所」とも呼ばれる。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • この石碑の他に同じく室町第跡を表す「花の御所碑」と「足利将軍室町第址」がまとめて回れる。
  • 他の足利将軍家の遺構である13代将軍義輝邸跡や、15代将軍義昭の二条城跡などもここから近いので一緒に回れる。
  • 本史跡は京都御苑とか「応仁の乱」の史跡巡りとかに組み込むのがよいかと。

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光明天皇・崇光天皇 大光明寺陵 https://rekishidou.com/daikomyojiryo/ https://rekishidou.com/daikomyojiryo/#respond Wed, 04 Oct 2023 04:56:34 +0000 https://rekishidou.com/?p=9396 室町時代初期に在位した北朝の天皇、光明天皇および崇光天皇の陵墓。

歴史・概略

  • 光明天皇(こうみょうてんのう)。北朝第2代天皇。持明院統。豊仁(ゆたひと)
  • 在位:建武3年(1336年) ~ 貞和4年(1348年)
  • 父:後伏見天皇 母:西園寺寧子(左大臣 西園寺公衡の娘)
  • 御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
  • 墳形:円丘
  • 崇光天皇(すこうてんのう)。北朝第3代天皇。持明院統。興仁(おきひと)
  • 在位:貞和4年(1348年) ~ 観応2年(1351年)
  • 父:光厳天皇 母:正親町三条秀子
  • 御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
  • 墳形:円丘
  • 元亨元年(1322年)、持明院統の後伏見上皇の第九皇子として豊仁(光明天皇)誕生。
  • 正慶2年(1333年)、大覚寺統の後醍醐天皇鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始める。このとき持明院統の光厳天皇(こうごんてんのう)の即位は否定されたため廃位となった。
  • 建武元年(1334年)、光厳上皇の第一皇子として興仁(崇光天皇)誕生。
  • 建武3年/延元元年(1336年)、後醍醐天皇と袂を分かった足利尊氏光厳上皇に近づき、弟の光明天皇を即位。この時点から北朝が誕生したことになるが、光厳天皇は即位を否定され歴代に数えられていないため、光厳天皇が北朝初代とされている。
  • 貞和4年/正平3年(1348年)、光厳上皇の皇子崇光天皇に譲位。
  • 観応2年/正平6年(1351年)、正平一統により北朝が消滅。崇光天皇が廃位。
  • 文和元年/正平7年(1352年)、南北朝の和平が破綻し光厳上皇・光明上皇・崇光上皇が南朝方に幽閉。
  • 天野山金剛寺

    上皇が幽閉された場所のひとつ金剛寺(大阪府河内長野市)

  • 文和4年/正平10年(1355年)、光明上皇が南朝より解放。
  • 延文2年/正平12年(1357年)、光厳上皇・崇光上皇が南朝より解放。
  • 康暦2年/天授6年(1380年)、光明上皇崩御。宝算60。
  • 明徳3年/元中9年(1392年)、南北朝合一。
  • 応永5年(1398年)、崇光上皇崩御。宝算65。

見どころ・おすすめ

  • 御陵があるのは伏見なので周辺には歴史遺産が豊富。明治天皇陵や桓武天皇陵、伏見城、維新関連などどこかまわるついでにでも寄ればよいかと。

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