室町時代初期の室町幕府管領・斯波義将(しばよしゆき)の邸宅跡。その後室町幕府13代将軍足利義輝の邸宅ともなった。
歴史・概略
- 斯波氏は室町幕府において将軍に次ぐ役職である管領に就く一族であり、他の管領家である細川氏や畠山氏とともに三管領と呼ばれる名門であった。そして斯波氏が宮中警護などを行う兵衛府の家であったことから、兵衛府の唐名の武衛をとり武衛陣と呼ばれるようになった。しかし、その後京都の街を戦場としてしまった「応仁の乱」によって屋敷は焼失した。
- 室町時代後期になると、将軍の足利義輝がここ武衛陣跡地に邸宅を構え政務をとった。将軍屋敷を二条を冠して呼ぶならいから、この屋敷も二条御所などと呼ばれた。因みに二条の名は初期の足利将軍家が二条に屋敷(尊氏邸跡)を構えていたことに由来する。
- 永禄8年(1565年)、幕府の支配を目論んでいた三好義継、三好三人衆、松永久通(松永久秀の子)らが武衛陣を襲撃し義輝は討死、建物も再び焼失した(永禄の変)。
- この数年後、義輝の弟で第15代将軍となった足利義昭のため織田信長が、この屋敷跡を含む付近一帯に二条城を建てている。
見どころ・おすすめ
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室町最後の将軍・足利義昭の居城 旧二条城石垣
室町幕府最後の将軍となった足利義昭のため織田信長が建てた二条城その石垣が京都御苑の片隅に復元されている#二条城#足利義昭#京都御苑
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区椹木町通室町上る 【付近の史跡】
[ 北・約0.1km ] 旧二條城跡(足利義昭御所)
[ 東・約0.1km ] 旧二条城復元石垣(京都御苑・足利義昭御所)
[ 東・約0.2km ] 閑院宮邸跡(京都御苑)
[ 西・約0.3km ] 京都守護職屋敷跡(松平容保)
[ 東・約0.3km ] 花山院邸跡(京都御苑)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「丸太町」駅から約0.3Km 【バス】 ・市バス「烏丸下立売」「烏丸丸太町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約9Km |