室町時代初期に在位した北朝の天皇、光明天皇および崇光天皇の陵墓。
歴史・概略
- 光明天皇(こうみょうてんのう)。北朝第2代天皇。持明院統。豊仁(ゆたひと)。
- 在位:建武3年(1336年) ~ 貞和4年(1348年)
- 父:後伏見天皇 母:西園寺寧子(左大臣 西園寺公衡の娘)
- 御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
- 墳形:円丘
- 崇光天皇(すこうてんのう)。北朝第3代天皇。持明院統。興仁(おきひと)。
- 在位:貞和4年(1348年) ~ 観応2年(1351年)
- 父:光厳天皇 母:正親町三条秀子
- 御陵名:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
- 墳形:円丘
- 元亨元年(1322年)、持明院統の後伏見上皇の第九皇子として豊仁(光明天皇)誕生。
- 正慶2年(1333年)、大覚寺統の後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始める。このとき持明院統の光厳天皇(こうごんてんのう)の即位は否定されたため廃位となった。
- 建武元年(1334年)、光厳上皇の第一皇子として興仁(崇光天皇)誕生。
- 建武3年/延元元年(1336年)、後醍醐天皇と袂を分かった足利尊氏が光厳上皇に近づき、弟の光明天皇を即位。この時点から北朝が誕生したことになるが、光厳天皇は即位を否定され歴代に数えられていないため、光厳天皇が北朝初代とされている。
- 貞和4年/正平3年(1348年)、光厳上皇の皇子崇光天皇に譲位。
- 観応2年/正平6年(1351年)、正平一統により北朝が消滅。崇光天皇が廃位。
- 文和元年/正平7年(1352年)、南北朝の和平が破綻し光厳上皇・光明上皇・崇光上皇が南朝方に幽閉。
- 文和4年/正平10年(1355年)、光明上皇が南朝より解放。
- 延文2年/正平12年(1357年)、光厳上皇・崇光上皇が南朝より解放。
- 康暦2年/天授6年(1380年)、光明上皇崩御。宝算60。
- 明徳3年/元中9年(1392年)、南北朝合一。
- 応永5年(1398年)、崇光上皇崩御。宝算65。
見どころ・おすすめ
- 御陵があるのは伏見なので周辺には歴史遺産が豊富。明治天皇陵や桓武天皇陵、伏見城、維新関連などどこかまわるついでにでも寄ればよいかと。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区桃山町泰長老 【付近の史跡】
[ 西・約0.3km ] 指月伏見城跡
[ 西・約0.7km ] 伏見奉行所跡
[ 北西・約0.7km ] 御香宮神社
[ 南西・約0.7km ] 向島城本丸址
[ 西・約1km ] 「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
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主な施設 |
陵墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「桃山」駅から約0.4Km ・近鉄電車「桃山御陵前」から約0.9Km ・京阪電車「観月橋」から約1Km 【バス】 ・近鉄バス「桃山」バス停 ・京阪バス「江戸町」バス停 ・市バス「御香宮前」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約5Km |