室町幕府を開いた初代将軍・足利尊氏の屋敷である二条万里小路第・三条坊門第があった場所。
室町幕府の由来ともなっている室町第が御所となったのは、3代将軍・義満以降の時代であるため、「室町幕府発祥の地」といわれる場所である。
歴史・概略
- この場所には、古くは平安時代中期の公卿・藤原定方(ふじわら・さだかた/873年 ~ 932年)の屋敷・大西殿があり、後に冷泉天皇の中宮・昌子内親王(まさこないしんのう/950年 ~ 1000年)の屋敷となった。
- 後醍醐天皇の「建武の新政」が行われた時代には、足利尊氏がこの場所に屋敷(二条万里小路第)を構えた。京都文化博物館の解説文によれば、この屋敷は二条大路、三条坊門小路(御池通)、万里小路(柳馬場通)、高倉小路に囲まれた南北250m、東西120mの範囲であったという。
- この屋敷の三条坊門小路を挟んだ南側には、尊氏の弟であった足利直義(あしかが・ただよし)が屋敷を構え、三条坊門第や三条殿、三条高倉殿などと呼ばれた。
- 直義は邸内に持仏堂を置いたといわれており、これが足利氏の菩提寺となった等持寺の始まりとされる。
- 室町時代初期には、尊氏がこの場所で将軍としての政務をこなし、三条坊門第では直義が幕府を切り盛りしていた。まさに幕府の中枢であり、「室町幕府発祥の地」といわれるゆえんである。
- 正平4年/貞和5年(1349年)、足利氏執事であった高師直と直義が次第に対立を深め、内乱へと発展(観応の擾乱)した。これによって直義は失脚し、直義は屋敷を出て後には尊氏の嫡男・足利義詮(あしかが・よしあきら)が移り住んだ。
- 正平7年/文和元年(1352年)、南朝方が京都に侵攻(八幡の戦い)、屋敷が被災した。
- 正平13年/延文3年(1358年)、邸内で尊氏が死去。享年54。尊氏の子で直義の養子であった足利直冬(あしかが・ただふゆ)との戦いで受けた傷によるものと言われる。
- 正平20年/貞治4年(1365年)、義詮が三条坊門第の東隣に新たな屋敷を建て移り住んだ。
- その後は荒廃や再建を繰り返しながら、御所のひとつとして8代・足利義政の頃まで使用された。
- ここにあった等持寺は、「応仁の乱」以降の足利将軍家の弱体化によって衰退し、別院であった等持院に合併された。
見どころ・おすすめ
- この場所の少し南にある御所八幡宮は、足利尊氏が邸内に造営した社がルーツと言われる。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区御池通高倉上る 【付近の史跡】
[ 南西・約0.1km ] 在原業平邸跡
[ 西・約0.2km ] 烏丸御池遺跡・平安京跡
[ 南西・約0.2km ] 高倉宮趾
[ 南西・約0.3km ] 三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地
[ 西・約0.3km ] 二条殿跡「本能寺の変」戦地
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「烏丸御池」駅から約0.3Km ・京阪電車「三条」駅から約1Km ・阪急電車「烏丸」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「堺町御池」「烏丸御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |