毛利秀元 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 06 Nov 2023 00:00:30 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 毛利秀元 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 関ケ原古戦場 https://rekishidou.com/sekigahara/ https://rekishidou.com/sekigahara/#respond Tue, 23 Feb 2016 04:04:17 +0000 http://rekishidou.com/?p=1864 慶長5年9月15日(1600年10月21日)、岐阜県関ケ原町で行われた天下分け目の戦い。日本史上最大規模の戦闘となった中心地。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 周辺一帯には、戦闘に参加した大名の陣跡が点在している。
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木幡山伏見城跡 https://rekishidou.com/fushimijo-2/ https://rekishidou.com/fushimijo-2/#respond Tue, 23 Jul 2019 01:15:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=1294 京都府京都市にあった安土桃山時代から江戸時代初期の平山城。

歴史・概略

大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦闘も行われた。先に築城された指月伏見城(しげつふしみじょう)と区別するため、木幡山伏見城とも呼ばれる。他に桃山城とも呼ばれる。

  • 築城:文禄5年(1596年)
  • 廃城:元和9年(1623年)
  • 築城主:豊臣秀吉
  • 構造:梯郭式・平山城
  • 主な城主:豊臣氏・徳川氏
  • 文禄5年(1596年)、それまで豊臣秀吉が居城としていた指月伏見城が慶長伏見地震によって壊滅的な被害を受けたため、そこから少し離れた木幡山(こはたやま)に新たな城の築城を開始。
    その際、指月伏見城のかなりの部分が再利用され工事は急ピッチで進められた。
  • 慶長2年(1597年)、伏見城が完成。
  • 慶長3年(1598年)、秀吉が伏見城内で死去。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い」の前哨戦として、西軍が徳川家の家臣・鳥居元忠が守る伏見城を攻撃し、1か月以上の戦いの末に落城。この戦いで建物のほとんどが焼失したと思われる。
  • 慶長6年(1601年)、徳川家康により、伏見城の再建が開始。普請奉行は城造りの名人として知られる藤堂高虎
  • 慶長8年(1603年)、家康が、伏見城内で将軍宣下を受ける。この時をもって江戸幕府の開始とされる。
  • 慶長10年(1605年)、徳川秀忠が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、徳川家光が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、廃城。これ以後、伏見奉行所の管理下に置かれ幕末まで立ち入りが制限された。
  • 本丸跡付近は明治天皇陵となっており、現在立ち入りが禁止されている。
  • 花畑曲輪跡には、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の施設として、徳川時代の天守をモデルにした模擬天守が建てられた。しかし、現在は遊園地が閉園してしまったため、天守への立ち入りはできない状況となっている。

見どころ・おすすめ

  • 模擬天守は現在立ち入り禁止となっており、外から眺めることしかできない。
  • 周辺の伏見城遺構としては、北堀跡と言われる北堀公園や伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地、桃山東小学校内の復元石垣などがあり、御香宮神社の表門は伏見城大手門の移築とされているので、そちらも覗いてみるといい。
  • JR桃山駅近くには、木幡山伏見城が築城される以前に使用された指月伏見城の遺構が残されているので、そちらも見てみるといい。

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津城 https://rekishidou.com/tsujo/ https://rekishidou.com/tsujo/#respond Fri, 06 May 2016 00:35:16 +0000 http://rekishidou.com/?p=3480 三重県津市にあった城。江戸時代の津藩藩庁。
別名、安濃津城(あのつじょう)。

歴史・概略

  • 戦国時代後期、伊勢の国人であった長野氏の一族・細野藤敦によって築城。その後、尾張より侵攻してきた織田信長の勢力下になると、信長の弟・織田信包(おだ・のぶかね)が入城し城の整備を行った。
  • 近江国小谷城浅井氏滅亡後はその妻であったお市や子のお茶々(後の豊臣秀吉室淀君)、お初(後の京極高次室)、お江(後の徳川秀忠室)らが住まった。
  • 関ケ原の戦い」の際には、城主の富田氏が東軍についていたため西軍の攻撃を受け落城した(安濃津城の戦い)。
  • その後多くの築城に携わり築城の名手として知られる藤堂高虎が入り、以後明治維新に至るまで藤堂家が藩主を務めた。
  • 築城:永禄年間(1558年~1570年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:細野藤敦
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主:細野氏・織田氏・富田氏・藤堂氏
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