岐阜県大垣市にあった城。江戸時代の大垣藩藩庁。
歴史・概略
- 築城:明応9年(1500年)?
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:竹腰尚綱?
- 構造:連郭輪郭複合式・平城
- 主な城主:竹腰氏・織田氏・氏家氏・池田氏・伊藤氏・石川氏・久松松平氏・岡部氏・戸田氏
- 天文13年(1544年)、尾張の織田信秀に攻められ落城、5年間織田氏の統治を受けた。
- 天正11年(1583年)、池田恒興(いけだ・つねおき)が城主となる。
- 天正12年(1584年)、「小牧・長久手の戦い」で恒興が戦死し、子の池田輝政が城主となる。
- 天正13年(1585年)、一柳直末(ひとつやなぎ・なおすえ)が城主となる。
- 天正13年末(1586年初)、天正地震により全壊。
- 天正18年(1590年)、小田原征伐により一柳直末が戦死し、伊藤盛景が城主となる。
- 慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」の際には西軍に属していた大垣城に石田三成らが入城し、西軍の本拠となった。しかし徳川家康率いる東軍が西進する動きを見せたため、西軍は関ケ原に移動し決戦を迎えた。ここで西軍は大敗を喫し三成は逃亡、大垣城は取り残されその後落城した。
- 明治時代に廃城となった後は破却を免れ、天守は国宝指定されるに至った。しかし、昭和20年(1945年)の空襲によって焼失した。
見どころ・おすすめ
- 復興天守-大垣城の歴史や関ヶ原合戦に関する展示館。
- 艮隅櫓・乾隅櫓-復興櫓。
- 東門-移築された内柳門。現在の正門。
史跡情報
地図 |
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【場所】
岐阜県大垣市郭町 |
主な施設 |
復興天守・東門・西門・乾櫓・艮櫓 |
利用時間 |
9:00 ~ 17:00 |
定休日 |
年末年始 |
料金 |
大人100円 |
交通 |
【電車】 ・JR「大垣」駅から約0.6Km ・養老鉄道「大垣」駅から約0.6Km 【バス】 ・名阪近鉄バス「大垣城ホール」「OKBストリート郭町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「大垣IC」から約6Km |