織田信忠 | 場所と地図 – 歴史のあと

織田信忠

弘治元年(1555年)?~天正10年(1582年)
尾張出身の戦国武将。美濃岐阜城主。幼名奇妙丸。父は信長、兄弟に信孝、信雄、子に秀信(三法師)など。天正4年(1576年)、信長から織田家の家督を譲られ尾張、美濃を与えられた。「本能寺の変」の際にはわずかな手勢で京都妙覚寺におり、その後二条新御所にこもり明智の軍勢と戦って自害した。

古戦場

長篠役設楽原決戦場

天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長...
城跡

岩村城跡

岐阜県恵那市岩村町にあった城。 江戸時代の岩村藩藩庁で日本三大山城のひとつに数えられる。 歴史・概略 鎌倉時代中期頃、美濃国遠山荘の地頭・遠山景朝により築...
城跡

岐阜城

岐阜県岐阜市にあった城。 戦国時代、織田信長が天下取りの足掛かりとしたことで知られる。稲葉山城とも呼ばれる。 歴史・概略 鎌倉時代に幕府御家人の二階堂行政が稲...
京跡・宮跡

二条殿跡「本能寺の変」戦地

「本能寺の変」において、織田信長の嫡男・織田信忠が明智光秀の軍勢と戦い討死した場所。 歴史・概略 天正5年(1577年)、信長が当時公家の二条邸だった場所...
邸宅・住居跡

二条殿御池跡

京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。 歴史・概略 この場所は、平安時...