天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長篠役設楽原決戦場」の碑が立つ。
歴史・概略
- 長篠城の西側、設楽原(したらがはら)を南北に流れる連吾川を挟んで両軍が布陣した。織田信長は武田軍を迎え撃つため陣地を構築し馬防柵を設置、信長は当時としては大量の鉄砲を持ち込んで鉄砲隊を組織した。
天正3年5月21日(1575年6月29日)、戦いが始まると「三段撃ち」の新戦法を使って、向かってくる武田の軍勢に次々と玉を撃ち込んで、勝利に導いたとされる。 - ただ、本当に「三段撃ち」のような戦法が取られたのかについては異論もあり、史実ではないとする意見もある。
- 「長篠の戦い」におけるおもな出来事
<天正3年>
5月 1日 武田軍、長篠城を取り囲む
5月14日 鳥居強右衛門、救援を要請するため城内を抜けだす
5月15日 強右衛門、岡崎城に到着し織田信長、徳川家康と面会
5月16日 強右衛門、武田軍に捕縛され処刑される
5月18日 織田・徳川軍着陣
5月20日 鳶ヶ巣山砦に奇襲
5月21日 設楽ヶ原の戦い
見どころ・おすすめ
- 周辺には「長篠の戦い」に関する史跡が点在しているので、まとめて回るのがおすすめ。
- 新城市設楽原歴史資料館では「長篠の戦い」や火縄銃に関しての資料が展示がしてある。
- 3Kmほど東には、この戦いのきっかけとなった長篠城がある。
史跡情報
地図 |
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【場所】 愛知県新城市竹広 【付近の史跡】
[ 西・約0.2km ] 徳川家康本陣跡(長篠の戦い)
[ 東・約0.3km ] 山県昌景の墓(長篠の戦い)
[ 東・約0.4km ] 小幡信貞の墓(長篠の戦い)
[ 東・約0.4km ] 原昌胤の墓(長篠の戦い)
[ 東・約0.5km ] 首洗い池(長篠の戦い)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「三河東郷」駅から約0.9Km 【バス】 ・新城市コミュニティバス「歴史資料館」バス停 【マイカー】 ・新東名高速道路「新城IC」から約1.3Km |