長束正家 | 場所と地図 – 歴史のあと

長束正家

永禄5年(1562年)?~慶長5年(1600年)
なつか・まさいえ。近江出身の戦国武将。近江水口岡山城主。丹羽長秀に仕えていたが後に豊臣秀吉の直参となり、五奉行の一人として豊臣政権を支えた。「関ケ原の戦い」では西軍に属し敗走した後、捕らえられ切腹した。

古戦場

関ケ原古戦場

慶長5年9月15日(1600年10月21日)、岐阜県関ケ原町で行われた天下分け目の戦い。日本史上最大規模の戦闘となった中心地。 歴史・概略 豊臣秀吉の死後...
城跡

木幡山伏見城跡

京都府京都市にあった安土桃山時代から江戸時代初期の平山城。 歴史・概略 大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦...
城跡

津城

三重県津市にあった城。江戸時代の津藩藩庁。 別名、安濃津城(あのつじょう)。 歴史・概略 戦国時代後期、伊勢の国人であった長野氏の一族・細野藤敦によって築...
城跡

忍城址公園

埼玉県行田市にあった江戸時代の忍藩藩庁がおかれた城。 歴史・概略 豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際には、城代として城を預かっていた成田長親(なり...