岐阜県岐阜市にあった城。
戦国時代、織田信長が天下取りの足掛かりとしたことで知られる。稲葉山城とも呼ばれる。
歴史・概略
鎌倉時代に幕府御家人の二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされ、戦国時代には斎藤道三が居城とした。
織田信長の美濃攻略によって城が奪われた後は、それまでの稲葉山城から岐阜城へと名を改めて信長の本拠とした。その後、度重なる混乱によって城主は変わっていき、「関ケ原の戦い」のあとは徳川家康によって廃城とされた。 信長が美濃攻略の拠点とした小牧山城(愛知県小牧市)
- 築城:建仁元年(1201年)
- 廃城:慶長5年(1600年)
- 築城主:二階堂行政
- 構造:山城
- 主な城主:斎藤氏・織田氏
- 日本100名城
- 建仁元年(1201年)、二階堂行政が稲葉山に砦を築く。
- 大永5年(1525年)、長井氏(後の斎藤氏)の支配下となる。
- 弘治2年(1556年)、斎藤道三、子の斎藤義龍に討ち取られる(長良川の戦い)。
- 永禄7年(1564年)、斎藤龍興家臣の竹中半兵衛が一時期城を占拠する。
- 永禄7年(1567年)、斎藤龍興が織田信長に美濃を奪われる(稲葉山城の戦い)。
- 永禄7年(1567年)、城主の織田信長が「岐阜城」と名を改める。
- 天正4年(1576年)、織田信長が嫡男の織田信忠に家督と美濃、尾張を譲る。
- 天正10年(1582年)、城主の織田信忠が「本能寺の変」で討死。
- 天正10年(1582年)、「清須会議」の後、織田信孝が美濃を拝領し城主となる。
- 天正11年(1583年)、城主の織田信孝が羽柴秀吉と対立、しかし「賤ヶ岳の戦い」で後ろ盾の柴田勝家を失い降伏。
- 天正11年(1583年)、池田恒興の嫡男・池田元助が城主となる。
- 天正12年(1584年)、城主の池田元助が「小牧・長久手の戦い」において討死。弟の池田輝政が城主となる。
- 慶長5年(1600年)、城主の織田秀信、「関ケ原の戦い」で西軍に与し落城(岐阜城の戦い)。
- 慶長6年(1601年)、廃城。
見どころ・おすすめ
- 復興天守-城や信長に関する展示館。上層の展望室からは岐阜市街を一望。
- 隅櫓-岐阜城資料館。
- 大手道・水手道ほか-山頂(天守)に至る登山道。斎藤道三、織田信長の時代に使われていた道が残る。
- 織田信長居館跡-金華山の麓にあった信長の居館跡。
史跡情報
地図 |
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【場所】
岐阜県岐阜市金華山天主閣 |
主な施設 |
天守・岐阜城資料館・ロープウェイ |
利用時間 |
【3月16日~ 5月11日】 9:30 ~ 17:30 【5月12日~10月16日】 8:30 ~ 17:30 【10月17日~ 3月15日】 9:30 ~ 16:30 |
定休日 |
無休 |
料金 |
【岐阜城資料館共通】 大人(16歳以上)200円 小人(4歳以上)100円 【ロープウェイ】 大人(12歳中学生以上)往復1080円/片道620円 小人(4歳以上)往復540円/片道280円 |
交通 |
【電車】 ・JR「岐阜」駅から約4Km ・名鉄「名鉄岐阜」駅から約3Km 【バス】 ・岐阜バス「岐阜公園・歴史博物館前」バス停 【マイカー】 ・東海北陸自動車道「岐阜各務原IC」から約10Km ・駐車場あり |