「本能寺の変」において、織田信長の嫡男・織田信忠が明智光秀の軍勢と戦い討死した場所。
歴史・概略
- 天正5年(1577年)、信長が当時公家の二条邸だった場所に新造した上洛時の宿所で、その後誠仁親王(さねひとしんのう・正親町天皇の皇子で後の陽光院)に献上したため、二条新御所とも呼ばれた。他に押小路烏丸殿、二条御新造、二条城、下の御所とも。
- 「本能寺の変」当日、信長は本能寺に100人ほどで宿泊し、一方の信忠は本能寺から北東700メートルほど離れた二条御所の西隣にあった妙覚寺に、500人ほどで宿泊していた。
事件が発生した際、信忠は本能寺での報を受けると本能寺へ向けて出陣したが、すでに本能寺が落ちたことを知り、妙覚寺より守りに適した二条御所へと移った。信忠は誠仁親王らを逃がして明智軍と奮戦するが、最期は自刃して果てた。 - 信忠は自刃の際、自身の身体を床下に隠すよう言ったとされ、本能寺で亡くなった信長同様に信忠の遺体は見つからなかった。
- 二条御所北隣には元関白の近衛前久(このえ・さきひさ)邸があったといい、ここからも明智軍が矢を射かけたという。このことが後に近衛前久が黒幕ではないかとの憶測を呼ぶ原因ともなった。
見どころ・おすすめ
- このひとつ西の通りにも二条殿跡碑がある。
- 本能寺跡碑が南西に1キロほどの場所に立てられているのでそちらも回るといい。というかそっちのついでにこっちを回ると言ったところだと思うが・・・
- 周辺の同時代遺構として本能寺の変の後、羽柴秀吉が建てた妙顕寺城跡や足利義昭の二条城跡などがある。
関連動画
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史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区両替町通御池上る 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 二条殿御池跡
[ 東・約0.1km ] 烏丸御池遺跡・平安京跡
[ 南東・約0.2km ] 三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地
[ 西・約0.3km ] 肥前鹿島鍋島藩屋敷跡(京都)
[ 東・約0.3km ] 在原業平邸跡
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「烏丸御池」駅から約0.1Km ・阪急電車「烏丸」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「新町御池」「烏丸御池」バス停 ・京都バス「新町御池」「烏丸御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |