一条天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Thu, 19 Oct 2023 03:48:19 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 一条天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 東三条殿跡 https://rekishidou.com/higashisanjodono/ https://rekishidou.com/higashisanjodono/#respond Fri, 20 May 2016 01:27:05 +0000 http://rekishidou.com/?p=1084 平安時代、政治権力の中枢に君臨し続けた藤原氏の邸宅跡、および御所跡。

歴史・概略

  • 東三条殿(ひがしさんじょうどの・とうさんじょうどの)は、平安時代初期から後期にかけて藤原摂関家当主や皇族の御所として使われた邸宅跡で、東三条院とも呼ばれる。
  • 平安時代初期、藤原氏として初めて摂政に就き、その後の藤原氏隆盛の基礎を作った藤原良房が、ここに屋敷を置いたことに始まったとされる。以降、忠平兼家など藤原摂関家に受け継がれた。天皇家に深く結びついていた藤原氏は、娘たちを天皇家に嫁がせ、兼家の娘・超子居貞親王(おきさだしんのう/後の三条天皇、同じく兼家の娘・詮子懐仁親王(やすひとしんのう/後の一条天皇をここで産んでいる。
    屋敷の名前から兼家東三条殿詮子東三条院と称された。
  • 平安時代末期には皇位継承を巡って、崇徳上皇後白河天皇との間で対立が激化するに至った。
    保元元年(1156年)、崇徳上皇側についていた藤原頼長の屋敷であった東三条殿に兵を集め、この計画を知った後白河天皇側の勢力によって接収された。このことによって一気に戦闘へと発展し保元の乱(ほうげんのらん)」が発生した。
    乱の後、屋敷は忠通のものとなり、一時期後白河天皇二条天皇の里内裏ともなっている。
  • 仁安元年(1166年)、火災により焼失。これ以後、再建されることはなかった。

見どころ・おすすめ

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一条院跡 https://rekishidou.com/ichijoin/ https://rekishidou.com/ichijoin/#respond Tue, 25 Feb 2020 03:45:55 +0000 http://rekishidou.com/?p=7419 平安時代中期の邸宅跡、御所跡。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 付近は聚楽第大内裏に関する史跡が点在しているので、そのついでにでも回るといい。
  • ここから北東に少し行った場所に、一条天皇が安倍晴明屋敷跡地に建てたという晴明神社がある。

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枇杷殿跡(京都御苑) https://rekishidou.com/biwadono/ https://rekishidou.com/biwadono/#respond Sun, 24 Jun 2018 01:35:24 +0000 http://rekishidou.com/?p=2833 京都御苑内にある平安時代の藤原氏の屋敷跡。

歴史・概略

  • 枇杷殿(びわどの)平安時代中期の公卿・藤原仲平(枇杷左大臣)の屋敷跡で、邸内に枇杷が植えられていたことが名の由来とされる。元は平安時代初期の公卿・藤原長良(枇杷中納言)の屋敷で、その後藤原基経(長良の子)藤原仲平(基経の子)藤原道長(基経の玄孫)らが所有している。
  • 道長の時代、一条天皇三条天皇が内裏の焼失などにより、一時期この屋敷に遷り里内裏としても使われたという。
    駒札の案内によれば、清少納言紫式部が当屋敷で仕えていたとのこと。
  • 京都御苑鎌倉時代光厳天皇(こうごんてんのう)が里内裏を置いたことに始まり、それ以前はここより2キロほど西に内裏が置かれていた。室町時代以降には内裏として定着し、周辺には宮家や公家屋敷がなどが集まり東京遷都まで続いたが、今は公園として整備されている。

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

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安倍晴明公居館之趾(晴明神社) https://rekishidou.com/seimeikyokan/ https://rekishidou.com/seimeikyokan/#respond Sun, 13 Mar 2016 01:40:13 +0000 http://rekishidou.com/?p=2373 晴明神社は平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明を祀る神社で、かつては晴明の屋敷があった場所とされる。

歴史・概略

  • 安倍晴明(あべ(の)せいめい)は、平安時代中期の陰陽師。6代の天皇に渡って仕え、様々な儀式や天体の星の動きなどを見て吉兆を占うなどしていた。
    晴明が亡くなった後は、一条天皇がその功績を偲んで晴明の屋敷跡に社殿を設けたとされる。
  • 創建当初は相当な規模であったとされるが、度重なる戦火によってその規模は次第に縮小していき現在の規模となった。

見どころ・おすすめ

  • 安倍晴明公像-肖像画より造られた安倍晴明の像。
  • 晴明井-晴明が霊力により湧出させたと言われる井戸。千利休も茶の湯に使ったと言われる。
  • 旧一條戻橋・式神石像-前の一條戻橋を使って再現された橋。晴明は一條戻橋に使役した式神を置いていたと言われる。
  • 千利休居士聚楽屋敷址豊臣秀吉が京都に聚楽第を置いていた時代、側近であった千利休の屋敷があった場所。

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