歴史・概略
- 名和長年(なわ・ながとし)は、後醍醐天皇を支えた忠臣のひとり。元は伯耆国の豪族で、隠岐に流された後醍醐天皇の脱出に力を貸した。その後も船上山で鎌倉幕府倒幕の兵を挙げるなどの功績により、伯耆守に任ぜられその後の建武政権を支えた。
- 建武2年(1335年)、足利尊氏(あしかが・たかうじ)が建武政権を離脱し、天皇側と足利側の戦闘が始まった(延元の乱)。建武3年(1336年)、天皇側は一旦は京から足利軍を退けることに成功するが、再起して上洛する足利軍に湊川で楠木・新田軍が敗北し、足利軍の入京を許す。
延元元年/建武3年6月30日(1336年8月7日)、長年は京都中心部で足利軍と戦って戦死した。 - 長年はそののち後醍醐天皇を支えたひとりとして結城親光、楠木正成、千種忠顕とともに三木一草と呼ばれ称えられるようになった。
- 討ち死にした場所は三条猪熊とする記録もあり、そちらにも碑が立てられている。
見どころ・おすすめ
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南北朝への分岐点!名和長年最期の地
後醍醐天皇を支えた忠臣・名和長年最期まで天皇に忠誠を誓い足利尊氏の軍と戦い散っていった・「名和長年公殉節之所」碑#名和長年#京都#歴史
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区梨木町 【付近の史跡】
[ 西・約0km ] 一条院跡
[ 南西・約0.1km ] 大内裏及聚楽第東濠跡
[ 北東・約0.1km ] 聚楽城上杉景勝屋敷跡・細川勝久屋敷跡
[ 北東・約0.1km ] 黒田如水邸跡(京都)
[ 北東・約0.3km ] 千利休居士聚楽屋敷址
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「今出川」駅から約1.2Km 【バス】 ・市バス「大宮中立売」「一条戻橋・晴明神社前」「堀川中立売」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |