真木和泉 | 場所と地図 – 歴史のあと

真木和泉

文化10年(1813年)~元治元年(1864年)
江戸時代後期の神職。他に真木保臣(やすおみ)とも。「八月十八日の政変」によって京都を追放された真木は、翌年長州藩とともに「禁門の変」を起こした。長州藩は幕府勢力や薩摩藩の守りを突破できずに敗走、真木は山崎天王山に立て籠り会津藩と新選組に攻撃され自ら爆死した。

京跡・宮跡

堺町御門(京都御苑)

京都御苑の外郭九門のひとつ。 歴史・概略 京都御苑は豊臣秀吉や徳川の時代、天皇の御所周辺に宮家や公家屋敷が集められたことに始まり、明治になって都を東京に移...
寺社

宝積寺(山崎の戦い・禁門の変)

山崎天王山(京都府乙訓郡大山崎町)にある真言宗寺院。宝寺とも呼ばれる。 歴史・概略 神亀元年(724年)、東大寺の大仏造立にも関わった行基(ぎょうき)が聖...
墓・慰霊碑

十七烈士の墓(禁門の変)

「禁門の変」に敗れ敗走し、山崎天王山に立て籠もった尊王攘夷派ら17名の墓。 歴史・概略 元治元年7月19日(1864年8月20日)、「八月十八日の政変」に...