土屋昌次 | 場所と地図 – 歴史のあと

土屋昌次

天文13年(1544年)~天正3年(1575年)
つちや・まさつぐ。甲斐の戦国武将。他に金丸平八郎、土屋昌続とも。金丸筑前守の二男。武田二十四将のひとり。武田信玄に仕え後に土屋姓を名乗った。信玄の死後は家督を継いだ勝頼に仕え「長篠の戦い」において討死した。

古戦場

馬防柵・土屋昌次戦死之地(長篠の戦い)

戦国時代の終わり、武田軍と織田軍が戦った「長篠の戦い」において織田軍が構築したとされる馬防柵の復元施設。 歴史・概略 甲斐の武田信玄が他国侵攻中に息を引き...
墓・慰霊碑

土屋昌次の墓(長篠の戦い)

戦国時代、織田信長と徳川家康の連合軍と武田勝頼との間に発生した「長篠の戦い」によって戦死した土屋昌次の墓。 歴史・概略 土屋昌次/昌続(つちや・まさつぐ)...