石川数正 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Thu, 12 Oct 2023 00:50:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 石川数正 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 長篠役設楽原決戦場 https://rekishidou.com/shitaragahara/ https://rekishidou.com/shitaragahara/#respond Mon, 18 Jan 2016 11:05:42 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=485 天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長篠役設楽原決戦場」の碑が立つ。

歴史・概略

  • 長篠城の西側、設楽原(したらがはら)を南北に流れる連吾川を挟んで両軍が布陣した。織田信長は武田軍を迎え撃つため陣地を構築し馬防柵を設置、信長は当時としては大量の鉄砲を持ち込んで鉄砲隊を組織した。
    天正3年5月21日(1575年6月29日)、戦いが始まると「三段撃ち」の新戦法を使って、向かってくる武田の軍勢に次々と玉を撃ち込んで、勝利に導いたとされる。
  • ただ、本当に「三段撃ち」のような戦法が取られたのかについては異論もあり、史実ではないとする意見もある。
  • 「長篠の戦い」におけるおもな出来事
    <天正3年>
    5月 1日 武田軍、長篠城を取り囲む
    5月14日 鳥居強右衛門、救援を要請するため城内を抜けだす
    5月15日 強右衛門、岡崎城に到着し織田信長、徳川家康と面会
    5月16日 強右衛門、武田軍に捕縛され処刑される
    5月18日 織田・徳川軍着陣
    5月20日 鳶ヶ巣山砦に奇襲
    5月21日 設楽ヶ原の戦い

見どころ・おすすめ

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三方ヶ原古戦場 https://rekishidou.com/mikatagahara/ https://rekishidou.com/mikatagahara/#respond Sun, 27 Dec 2015 10:28:32 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=482 戦国時代末期、西に侵攻を開始した武田信玄とそれを守る隣国の徳川家康との間に起きた戦闘の地。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

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岡崎城(岡崎公園) https://rekishidou.com/okazakijo/ https://rekishidou.com/okazakijo/#respond Sun, 27 Dec 2015 09:28:46 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=474 愛知県岡崎市にあった城。江戸時代の岡崎藩藩庁。
徳川家康が生まれたことで知られ、公園内には「産湯の井戸」や「えな(胞衣)塚」など家康ゆかりのものが残っている。

歴史・概略

室町時代中期、三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより)とその子頼嗣(よりつぐ)によって、北方の守りとして龍頭山に築城したことが始まり。

その後、家康の祖父松平清康が岡崎城に入ったが、家臣の謀反によって殺害された。さらには父松平広忠も謀反によって命を落とすなどし、今川氏の城代が置かれた。しかし、家康19歳のとき、桶狭間の戦い今川義元が討ち取られたことを契機に今川家より独立を果たした。

家康が江戸に幕府を開いた後は、譜代大名が城主を務めた。岡崎藩の石高は5万石程度とさほど多くはないものの、家康公が誕生した城として神聖視され、大名たちは岡崎城主になることを誇りにしたという。

  • 築城:享徳元年(1452年)
  • 廃城:明治6年(1873年)
  • 築城主:西郷稠頼・頼嗣
  • 構造:梯郭式・平山城
  • 主な城主: 西郷氏・松平氏・田中氏・本多氏・水野氏
  • 日本100名城
  • 享徳元年(1452年)、西郷氏により築城
  • 享禄4年(1531年)、松平家が城主となる
  • 天文11年(1542年)、徳川家康が岡崎城に生まれる
  • 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦い
  • 元亀元年(1570年)、家康浜松城へ居城を移す/家康の長男・松平信康が城主となる
  • 天正7年(1579年)、信康が二俣城で切腹
  • 天正7年(1579年)、石川数正が城代となる
  • 天正13年(1585年)、数正が出奔
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い
  • 元和3年(1617年)、天守が完成
  • 明治6年(1873年)、廃城

見どころ・おすすめ

  • 天守閣-岡崎城の歴史を伝える展示館。展望室からは岡崎市を一望。
  • 家康館-家康誕生から天下人になるまでを伝える展示館。
  • 徳川家康公像-家康の像。
  • しかみ像-家康が三方ヶ原敗戦時に描かせたと言われる肖像画の像。
  • 本多平八郎忠勝公像-徳川四天王のひとり本多忠勝の像。
  • 東照公産湯の井戸-家康誕生時に産湯に使われたと伝わる井戸。
  • 東照公えな塚-家康のへその緒を埋めたと伝わる塚。
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松本城 https://rekishidou.com/matsumotojo/ https://rekishidou.com/matsumotojo/#respond Sat, 19 Dec 2015 13:30:14 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=92 長野県松本市にある城。現存12天守のうちのひとつ

歴史・概略

  • 築城:永正元年(1504年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:小笠原貞朝
  • 構造:梯郭式/輪郭式・平城
  • 主な城主: 小笠原氏・石川氏・越前松平氏・堀田氏・水野氏・戸田松平氏
  • 日本100名城
  • 国宝(天守5棟)
  • 天守は中心をなす大天守のほか乾小天守、渡り櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟からなり、黒漆喰の黒い色が特徴的である。大天守は5重6階の建物で高さは約30メートルある。大天守、渡り櫓、および乾小天守の3棟は戦国時代に築かれ、残りの辰巳附櫓、月見櫓の2棟が江戸時代に建てられたとされる。
  • 永正元年(1504年)、信濃守護家である小笠原氏によって深志城が築城されたのが始まり。
  • 天文19年(1550年)、甲斐の武田氏の信濃侵攻を受け落城。城代として武田家重臣・馬場信春(ばば・のぶはる)が置かれた。
  • 永禄9年(1566年)までの間に同じく武田家重臣の内藤昌豊(ないとう・まさとよ)が城代に入る。
  • 天正10年(1582年)、武田氏滅亡後は織田配下となり木曾義昌(きそ・よしまさ)に預けられるが、「本能寺の変」で信長が亡くなると旧武田領を巡って争いとなり上杉氏の援助により小笠原洞雪斎(おがさわら・どうせつさい)が深志城を奪還した。しかし今度は徳川家康の力を借りて小笠原貞慶(おがさわら・さだよし)が奪還し、このとき松本城と改名された。
  • 天正18年(1590年)、徳川氏の関東移封に伴い豊臣秀吉配下の石川数正(いしかわ・かずまさ)が入城。
  • 文禄2年(1593年)、天守築造。現在見られる天守はこの頃のものと言われる。
  • 慶長18(1613年)、小笠原氏が入封。
  • 元和3(1617年)、戸田松平氏が入封。
  • 寛永10年(1633年)、越前松平氏が入封。
  • 寛永15年(1638年)、堀田氏が入封。
  • 寛永19年(1642年)、水野氏が入封。
  • 享保11年(1726年)、戸田松平氏が再び入封。これ以降明治維新まで戸田松平氏が藩主を務める。
  • 昭和27年(1952年)、国宝に指定

見どころ・おすすめ

  • 天守-国宝天守。現存12天守のひとつ。
  • 黒門・太鼓門-復元門。
  • 松本市立博物館-松本の街や松本城に関する展示館。
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蟹江城址 https://rekishidou.com/kaniejo/ https://rekishidou.com/kaniejo/#respond Thu, 08 Mar 2018 02:28:17 +0000 http://rekishidou.com/?p=5411 愛知県海部郡蟹江町にあった室町時代の城。
小牧・長久手の戦い」において羽柴秀吉軍と徳川家康織田信雄軍の戦いが行われた地として知られる。

歴史・概略

  • 弘治元年(1555年)、当時織田方であった蟹江城を今川方の松平広忠が攻略。このとき活躍した武将は後に蟹江七本槍(大久保忠世大久保忠佐・ほか5人)と呼ばれた。
  • 永禄10年(1567年)、滝川一益により再構築。
  • 天正11年(1583年)、「賤ヶ岳の戦い」で滝川一益柴田勝家に味方し秀吉に敗北、蟹江城は織田信雄(おだ・のぶかつ)家臣の佐久間信栄(さくま・のぶひで)に与えられた。
  • 天正12年(1584年)、「小牧・長久手の戦い」において秀吉方の滝川一益が蟹江城を攻略。
  • 天正12年(1584年)、徳川家康・織田信雄連合軍が蟹江城を攻撃し落城。
  • 天正13年末(1586年初)、天正地震により壊滅。
  • 築城:永享年間(1429年~1440年)
  • 廃城:天正13年末(1586年初)
  • 築城主:北条時任か
  • 構造:平城
  • 主な城主:滝川一益佐久間信栄

見どころ・おすすめ

  • 住宅街の真ん中に蟹江城址の石碑が立てられているのみで、城跡を思わせるものは何もない。
  • ただ、石碑の少し西側には本丸にあった井戸とされる井戸跡がある。
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