長篠の戦い

天正3年(1575年)
三河国長篠城付近(愛知県新城市)で発生した織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との戦い。設楽ヶ原(したらがはら)で発生したたため設楽ヶ原の戦いとも呼ばれる。

墓・慰霊碑

甘利信康の墓(長篠の戦い)

戦国時代末期、奥三河で勃発した「長篠の戦い」で戦死したとされる甘利信康(あまりのぶやす)の墓。歴史・概略甘利氏は甲斐源氏の武田信義を始祖とする一族で、信康は武田信玄と武田勝頼の二代に仕えた武田家の家臣のひとり。 天正3...
古戦場

首洗い池(長篠の戦い)

戦国時代末期に起った「長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)」の際、戦死者の首や武具の血を洗った池と伝わる。歴史・概略天正3年(1575年)、三河支配を狙う甲斐の武田勝頼(たけだ・かつより)が約1万5千の兵を率いて長篠城を包囲した。...
墓・慰霊碑

原昌胤の墓(長篠の戦い)

「長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)」で討死した原昌胤の墓。歴史・概略原昌胤(はらまさたね)は武田家臣団の中でも特に評価の高い武田二十四将のひとりにも数えられる武将で、信玄と勝頼の二代に仕えた。 天正3年(1575年)、勝頼...
墓・慰霊碑

信玄塚(長篠の戦い)

平安時代末期、奥三河において行われた「長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)」で犠牲となった人たちを弔った塚。歴史・概略天正3年(1575年)、武田信玄亡き後を継いだ子の武田勝頼が徳川領であった三河国長篠城へ侵攻。これを契機に徳川家...
墓・慰霊碑

小幡信貞の墓(長篠の戦い)

武田軍と織田・徳川連合軍が長篠設楽ヶ原において激突した「長篠の戦い」で討死したとされる小幡信貞の墓。歴史・概略小幡信貞(おばた・のぶさだ)は、戦国時代に上野国を本拠とした武将(上野小幡氏)。ほかに信実、信真、信定とも表され...
墓・慰霊碑

土屋昌次の墓(長篠の戦い)

戦国時代、織田信長と徳川家康の連合軍と武田勝頼との間に発生した「長篠の戦い」によって戦死した土屋昌次の墓。歴史・概略土屋昌次/昌続(つちや・まさつぐ)は、甲斐武田氏の家老で信玄と勝頼の二代に仕えた武将である。武田家臣団の中...
墓・慰霊碑

内藤昌豊の墓(長篠の戦い)

織田・徳川連合軍と武田軍との間で起こった「長篠の戦い」で討死した内藤昌豊の墓。歴史・概略内藤昌豊(ないとう・まさとよ)は馬場信春や山県昌景、高坂昌信とともに甲斐武田氏を支えた武田四天王のひとり。信玄が亡くなった後は子の勝頼...
墓・慰霊碑

山県昌景の墓(長篠の戦い)

「長篠の戦い」で討ち取られた武田氏の重臣・山県昌景の墓。歴史・概略山県昌景(やまがた・まさかげ)は武田信虎・信玄・勝頼の三代に渡って仕えた甲斐武田家の重臣。馬場信春(信房)や内藤昌豊、高坂昌信とともに武田氏を支えた武田四天...
墓・慰霊碑

馬場信房の墓(長篠の戦い)

甲斐の武田と織田徳川連合との間で起こった「長篠の戦い」で討死した馬場信房(信春)の墓。歴史・概略馬場信春(ばば・のぶはる)は武田信虎・信玄・勝頼の三代に渡って仕えた甲斐武田家の重臣。信房(のぶふさ)とも呼ばれる。内藤昌豊、...
寺社

武田勝頼本陣跡(医王寺・長篠攻城戦)

武田軍と織田・徳川連合軍が戦った「長篠の戦い」の前哨戦である長篠城攻城戦において武田勝頼が本陣を置いた場所。歴史・概略天正3年(1575年)、武田信玄の跡を継いだ武田勝頼は長篠城の支配を狙って進軍、城兵わずか500に対して...
古戦場

丸山激戦地(長篠の戦い)

織田・徳川連合軍と武田軍が三河長篠城を巡る攻防によって始まった「長篠の戦い」において激戦となった場所。歴史・概略天正3年(1575年)、甲斐の武田勝頼(たけだ・かつより)が奥三河にある長篠城攻略のため進軍、それを受けて織田...
古戦場

馬防柵・土屋昌次戦死之地(長篠の戦い)

戦国時代の終わり、武田軍と織田軍が戦った「長篠の戦い」において織田軍が構築したとされる馬防柵の復元施設。歴史・概略甲斐の武田信玄が他国侵攻中に息を引き取った後、信玄の四男・武田勝頼(たけだ・かつより)は平安時代より続く名門...
古戦場

徳川家康本陣跡(長篠の戦い)

戦国時代末期、三河国長篠において織田・徳川連合軍が甲斐の武田軍を打ち負かした「長篠の戦い」の際、徳川家康がここに本陣を置いた。歴史・概略武田信玄亡き後、甲斐の名門・武田家を引き継いだ武田勝頼(たけだ・かつより)は三河へと侵...
古戦場

織田信長戦地本陣跡(長篠の戦い)

織田軍・徳川軍が三河国長篠で甲斐の武田軍を破った「長篠の戦い」において織田信長が本陣をおいた場所。歴史・概略天正3年(1575年)5月、甲斐の武田信玄の跡を引き継いだ武田勝頼(たけだ・かつより)は三河へと侵攻し、当時徳川家...
墓・慰霊碑

鳥居強右衛門磔死之址(長篠の戦い)

武田軍と織田・徳川連合軍が戦った「長篠の戦い」の前哨戦となる長篠城攻城戦において、長篠城奥平家臣の鳥居強右衛門が武田軍によって磔(はりつけ)にされた場所。歴史・概略長篠城(ながしのじょう)は奥三河にある城で徳川氏と武田氏の...
古戦場

長篠役設楽原決戦場

天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長篠役設楽原決戦場」の碑が立つ。歴史・概略長篠城の西側、設楽原(...
城跡

長篠城跡

戦国時代、愛知県新城市にあった城。歴史・概略 永正5年(1508年)、今川氏と関係が深い菅沼元成(すがぬま・もとなり)によって築城され、菅沼氏の居城となった。その後、今川氏の衰退により東に勢力を伸ばしてきた徳川家康の配下となった。...
タイトルとURLをコピーしました