元亀3年12月22日(1573年1月25日)に起った「三方ヶ原の戦い」の際、武田信玄の本陣が置かれたとされる場所。
歴史・概略
- 越後の上杉氏と関東の北条氏との関係を回復、北と東の脅威を取り除いた甲斐の武田信玄は織田・徳川領への侵攻を開始した。武田軍は二俣城を落とし、さらに徳川家康の居る浜松城へと迫った。
- この時の織田信長は四方に敵を迎えている状況であり、織田・徳川軍の兵力は武田軍の3分の1ほどとされる。家康は浜松城への籠城を決定、しかし武田軍は城の北にある三方ヶ原を西に向かい浜松城を通り過ぎる構えを見せた。
- 家康は武田軍が進行方向の先にある祝田(ほうだ)の坂を下るところを攻撃の好機ととらえ出陣、しかし武田軍は坂を下らず反転し真正面からぶつかることとなった。戦いは2時間ほどで決着がつき織田・徳川軍は大敗、家康は浜松城へ逃げ帰った。
- 「三方ヶ原の戦い」前後の出来事
元亀3年(1572年)9月 武田軍が徳川領へ侵攻/10月 木原畷・三ケ野坂・一言坂の戦い/10月~12月 二俣城の戦い/10月 仏坂の戦い/12月 上村合戦/12月 三方ヶ原の戦い・犀ヶ崖の戦い/元亀4年(1573年)1月~2月 野田城の戦い/2月 武田軍撤退/4月 信玄死去
見どころ・おすすめ
- 現在、この場所には二代目となる松が立っている。
- 道を挟んで旧道が伸びており「祝田坂への旧道」碑が立てられている。

祝田坂への旧道(静岡県浜松市)
施設データ
地図 |
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住所:静岡県浜松市北区根洗町
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・天竜浜名湖鉄道「金指」駅から約3Km 【バス】 ・遠州鉄道「根洗」「静光園入口」バス停 【マイカー】 ・東名高速道路「三方原スマートIC」から約7Km |