宇多天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Wed, 28 Jun 2023 01:14:21 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 宇多天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 平等院(藤原道長別邸) https://rekishidou.com/byodoin/ https://rekishidou.com/byodoin/#respond Thu, 22 Oct 2020 08:40:02 +0000 https://rekishidou.com/?p=9334 京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの仏教寺院。特に平安時代さながらの景観を見せる鳳凰堂は、10円玉やお札の図柄としても利用されるなど、京都を代表する観光スポットのひとつとなっている。

歴史・概略

極楽浄土の思想を取り入れた庭園は浄土庭園と呼ばれ、洛中の法成寺や平泉の毛越寺など平安時代から鎌倉時代にかけて多く作られた。ただ、平安時代に造られた庭・堂宇が残っている場所はほとんどなく、大変貴重な場所となっている。

  • 国宝(鳳凰堂・鳳凰像・仏像・壁画など)
  • 世界遺産
  • 現在はどこの宗派にも属してない単立寺院。

見どころ・おすすめ

  • 鳳凰堂(阿弥陀堂)-平安時代の姿をそのまま残す建物は平安絵巻そのもの。
  • 源頼政の墓-源平合戦において平等院で自刃した源頼政の墓。
  • 扇の芝-源頼政が自刃した場所とされる。
  • ミュージアム鳳翔館-国宝や重要文化財などの展示を行う博物館。
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乙訓寺(早良親王幽閉の地) https://rekishidou.com/otokunidera/ https://rekishidou.com/otokunidera/#respond Fri, 18 Sep 2020 03:36:57 +0000 https://rekishidou.com/?p=10206 京都府長岡京市にある弘法大師ゆかりの真言宗寺院。聖徳太子が建立したと伝わる古刹。

歴史・概略

  • 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)飛鳥時代、推古天皇の勅命によって聖徳太子が建立したと伝わる。だが、当時の痕跡はなく発掘調査などから奈良時代頃の創建ではないかと考えられている。
    また、継体天皇によって営まれた弟国宮(おとくにのみや)(518年~526年)は長岡京市北部にあったと考えられており、乙訓寺周辺が宮跡の有力候補のひとつとなっている。
  • 延暦4年(785年)、藤原種継暗殺事件に加担したとして早良親王(さわらしんのう・桓武天皇弟)が乙訓寺に幽閉。この後親王は絶食によって無実を訴え亡くなったといわれる。
  • 弘仁2年(811年)、空海(弘法大師)が乙訓寺の別当に就任。
  • 弘仁3年(812年)、天台宗を開いた最澄が乙訓寺の空海のもとを訪れ、密教について語り合った。
  • 寛平9年(897年)、宇多天皇が乙訓寺を行宮とし、法皇寺と呼ばれた。
  • 今では静かなたたずまいといった感じだが、長岡京時代から室町時代にかけて大いに繁栄し、伽藍がいくつも立ち並んでいたとされる。北側に隣接する小学校からはその頃の講堂跡が発掘されており、調査後埋め戻され地下に保存されている。

見どころ・おすすめ

  • 長岡京市・向日町市周辺にはかつての都・長岡京史跡が点在しているので、余力があれば寄ってみればいいかと。

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源融河原院跡 https://rekishidou.com/kawaranoin/ https://rekishidou.com/kawaranoin/#respond Tue, 26 Apr 2016 04:12:17 +0000 http://rekishidou.com/?p=1070 平安時代の元皇族で政治家・源融の邸宅跡。

歴史・概略

  • 源融(みなもとのとおる)平安時代初期に在位した嵯峨天皇の皇子で、長きにわたり朝廷に仕え従一位・左大臣の官位を受けるなどし出世を果たした人物。嵯峨源氏(渡辺綱や肥前松浦氏)の祖としても知られ、ほかにも紫式部が宮中を舞台に様々な色恋を描いた長編小説『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルであるともいわれている。
  • 六条河原院(かわらのいん)源融が賀茂川の西岸に造営した邸宅で、その敷地はたいへん広く4町あったとも8町あったともいわれる。奥州の塩竈の風景を模して作庭され、わざわざ海から海水を運ばせ塩造りを楽しんだという。
  • 源融の子・源昇の代に屋敷が宇多上皇に献上され、仙洞御所ともなった。
  • 京都の繁華街のある河原町通という名の由来になったともいわれている。
  • 源氏物語光源氏が邸宅としていた六条院のモデルのひとつ。

見どころ・おすすめ

  • 南西に500メートルほど行ったところに、屋敷の一部だったという渉成園(現在は東本願寺の飛地)がある。
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朱雀院跡 https://rekishidou.com/suzakuinato/ https://rekishidou.com/suzakuinato/#respond Wed, 20 Apr 2016 00:31:39 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=359 平安時代、天皇が譲位後の御所として使用した後院跡。

歴史・概略

  • 朱雀院(すざくいん)平安京の中央を貫く朱雀大路の西側に作られ、現在の三条通りから四条通りにかけての南北4町、東西2町に及ぶ広大な敷地を有しており、後院として平安京最大の規模であった。
  • 【源氏物語】桐壺帝の父一院(光源氏の祖父)および朱雀院(光源氏の異母兄)の御所として登場。
  • その歴史は平安時代初期の第52代嵯峨天皇が造営したことに始まり、その後第54代仁明天皇が拡充した。後院としては第59代宇多天皇が用いたことが最初とされる。以降醍醐天皇朱雀天皇など累代の天皇が後院として使用した。
  • 天暦4年(950年)、火災により焼失。
  • 応和3年(963年)、村上天皇により再建。

見どころ・おすすめ

  • この西に同時代の離宮・淳和院跡があるのでそちらも合わせてどうぞ。
  • 石碑のみで特に有名な史跡でもないので近くの壬生散策のついでにでも行ったらどうでしょう。

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鳥養院跡 https://rekishidou.com/torikaiin/ https://rekishidou.com/torikaiin/#respond Tue, 01 Oct 2019 02:11:17 +0000 http://rekishidou.com/?p=5794 平安時代前期の宇多天皇の離宮跡。

歴史・概略

  • 宇多天皇(うだてんのう/867年~931年)は、一度皇籍を離れて源定省(みなもと・さだみ)と称したのち、皇籍復帰して即位したという変わった経歴を持つ天皇である。近江の佐々木氏をはじめとした宇多源氏の祖先として知られ、他に菅原道真の重用(この重用が周りの不興を買い大宰府へ左遷されるきっかけになった)、仁和寺の建立などを行っている。
  • 淀川は都と西を繋ぐ交通の要衝で、淀川周辺には多くの皇族や貴族たちが別荘を構えたとされており、鳥養院(とりかいいん)もそうした別荘の一つである。
  • この石碑が立っている周辺の地名が「御所垣内」であることから、この付近に離宮があったと推定されている。
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