荒木村重 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 22 Aug 2023 03:52:29 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 荒木村重 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 有岡城跡(伊丹城) https://rekishidou.com/ariokajo/ https://rekishidou.com/ariokajo/#respond Sun, 14 May 2017 01:46:08 +0000 http://rekishidou.com/?p=4532 兵庫県伊丹市にあった室町時代の城。伊丹城とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 摂津の国人であった伊丹氏によって南北朝の頃に城が築かれたのが始まりとされる。
  • 戦国時代末期織田信長が畿内に進出すると、伊丹氏は恭順した。しかし、その後に反信長勢力に加わり信長配下の荒木村重の攻撃を受けて落城した。
    戦後、村重が伊丹城主となり、城の大改修を行った。このとき名を有岡城と改めている。
  • 天正6年(1578年)、今度はその村重信長に対し反旗を翻し、有岡城にこもった。このとき村重の説得を任された黒田官兵衛が有岡城に幽閉されている。
    有岡城は1年に渡って織田軍の攻撃に耐えるなど堅固なつくりであったが、その後村重方の高山右近中川清秀らが信長に寝返るなどし落城した(有岡城の戦い)。
  • 天正8年(1580年)、池田恒興の嫡男・池田元助が城主となる。
  • 天正11年(1583年)、池田元助が美濃に転封。これ以降、有岡城は廃城となった。
  • 築城:南北朝時代
  • 廃城:天正11年(1583年)
  • 築城主:伊丹氏
  • 構造:平城
  • 主な城主:伊丹氏・荒木村重池田元助
  • 日本100名城

見どころ・おすすめ

  • 城跡は公園として整備され石垣や井戸跡、建物跡、堀跡などが残されている。
  • 城跡の北西にある猪名野神社にはかつての城の惣構の一部とみられる土塁が残されている。
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白井河原合戦跡 https://rekishidou.com/shiraigawarakassen/ https://rekishidou.com/shiraigawarakassen/#respond Sat, 31 Mar 2018 03:28:39 +0000 http://rekishidou.com/?p=6431 元亀2年(1571年)8月28日、摂津国白井河原付近で起こった「白井河原の戦い」の戦闘跡地。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 周辺には「白井河原の戦い」に関する史跡が点在しているので、まとめて回れる。

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本圀寺跡(足利義昭御所) https://rekishidou.com/honkokuji/ https://rekishidou.com/honkokuji/#respond Wed, 06 Nov 2019 05:21:26 +0000 http://rekishidou.com/?p=5935 京都六条堀川にあった日蓮宗寺院・本国寺(本圀寺)の跡。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • わざわざ目指すほどのところではないので、西本願寺を回るついでにでもちょっと寄るくらいでよいかと。

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茨木城跡 https://rekishidou.com/ibarakijo/ https://rekishidou.com/ibarakijo/#respond Wed, 05 Apr 2017 06:03:15 +0000 http://rekishidou.com/?p=4056 大阪府茨木市にあった城。

歴史・概略

  • 築城年は分かっていないが、一説には南北朝で活躍した河内の豪族・楠木正成が築いたのが始まりともいわれる。
  • 以後の記録はないが、室町時代には国人領主である茨木氏の城となっている。戦国時代には荒木村重中川清秀の連合軍に敗れ(白井河原の戦い)、以後清秀が茨木城主となった。
  • その後、「賤ヶ岳の戦い」で羽柴軍として参戦した清秀は戦死、清秀の子・秀政が城主となった。しかし、後に播磨国三木へ転封となり、以後は豊臣秀吉の直轄地となった。
  • 関ケ原の戦い」の後には、豊臣家家臣であった片桐且元貞隆兄弟に与えられたが、「大坂の陣」終結後に片桐氏は転封となっている。
  • その後、江戸幕府によって出された一国一城令により、高槻城を残して廃城となってしまったため遺構はほとんど残っていない。
  • 築城:不明
  • 廃城:元和2年(1616年)
  • 築城主:不明
  • 構造:平城
  • 主な城主:茨木氏・中川清秀・片桐且元

見どころ・おすすめ

  • 櫓門-復元櫓門。茨木市立茨木小学校の正門。
  • 南西に少し行った茨木神社の東門は、移築された搦手門であると言われている。
  • 北西約3Kmの場所に、中川清秀が茨木城主となるきっかけとなった「白井河原の戦い」の遺構が残されている。

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馬塚(白井河原の戦い) https://rekishidou.com/umaduka/ https://rekishidou.com/umaduka/#respond Sun, 01 Apr 2018 04:38:52 +0000 http://rekishidou.com/?p=6435 大阪府茨木市にある塚。
戦国時代に起った「白井河原の戦い」の際に荒木村重中川清秀の連合軍が陣を置いた場所。

歴史・概略

  • 「白井河原の戦い」とは、元亀2年(1571年)8月28日、反織田勢である荒木村重中川清秀と織田勢である茨木城城主・茨木重朝高槻城城主・和田惟政との間に起った戦いのこと。茨木城北部の白井河原を挟んで、西側の馬塚(うまづか)に荒木・中川連合軍が2500騎、東側の糠塚(ぬかづか)に茨木・和田連合軍が500騎布陣した。
  • 茨木・和田連合軍の陣形が整う前に戦端が開かれたといわれ、兵力に劣る惟政清秀によって討ち取られた。重朝村重本陣に迫る奮戦を見せたが、村重により討ち取られた。
  • この後荒木・中川連合軍は茨木城、郡山城を落とし、高槻城を攻囲したが織田側からの勧告により撤兵した。
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