元亀2年(1571年)8月28日、摂津国白井河原付近で起こった「白井河原の戦い」の戦闘跡地。
歴史・概略
- 「白井河原の戦い(しらいがわらのたたかい)」とは、織田信長が摂津に進出した後に、織田勢であった茨木重朝(いばらき・しげとも)・和田惟政(わだ・これまさ)連合軍と、反織田勢であった荒木村重・中川清秀連合軍との間に起った戦闘のこと。
- 京と西国を結ぶ西国街道の芥川宿(高槻市)と郡山宿(茨木市)の間にある白井河原を挟んで、西側の馬塚(うまづか)に荒木・中川連合軍2500騎、東側の糠塚(ぬかづか)に茨木・和田連合軍500騎が布陣し、両軍が対峙した。
- 茨木・和田連合軍は、数に勝る敵軍を前に時間稼ぎを図ったが、陣形が整う前に戦端が開かれたという。惟政は清秀によって討ち取られ、重朝も村重本陣に迫るほどの奮戦を見せたが村重により討ち取られた。
- 大将を失った茨木・和田連合軍は壊滅、この後荒木・中川連合軍は茨木城、郡山城を落とし、高槻城を攻囲したが織田側からの勧告により撤兵した。
見どころ・おすすめ
- 周辺には「白井河原の戦い」に関する史跡が点在しているので、まとめて回れる。
白井河原合戦において茨木重朝、和田惟政の連合軍が陣を置いた糠塚跡(大阪府茨木市)
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府茨木市耳原 【付近の史跡】
[ 北・約0.4km ] 糠塚跡(白井河原の戦い)
[ 南東・約0.7km ] 和田惟政供養塔(白井河原の戦い)
[ 南西・約0.7km ] 馬塚(白井河原の戦い)
[ 北・約0.8km ] 将軍塚(大織冠神社・藤原鎌足墓)
[ 南西・約1km ] 郡山城跡
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主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【バス】 ・阪急バス「中河原」「中河原南口」バス停 【マイカー】 ・名神高速「茨木IC」から約1Km |