和田惟政供養塔(東奈良史跡公園) | 場所と地図 – 歴史のあと

和田惟政供養塔(東奈良史跡公園)

和田惟政供養塔 墓・慰霊碑
和田惟政供養塔
ジャンル:邸宅・住居跡/墓・慰霊碑
史跡年代:弥生時代・室町時代

白井河原の戦いにおいて命を落とした室町時代末期の戦国武将・和田惟政の供養塔。
および弥生時代の集落跡。

歴史・概略

  • 【和田惟政(わだ・これまさ)】享禄3年-元亀2年(1530年-1571年)
    元は近江の豪族で後の15代将軍・足利義昭の近江逃亡を手助けした。後の織田信長による上洛の際にも貢献し芥川山城高槻城などを与えられ、摂津守護のひとりとなった。
  • 【白井河原の戦い(しらいがわらのたたかい)】
    交戦勢力:荒木村重中川清秀 VS 茨木重朝和田惟政
    決戦日:元亀2年8月28日(1571年9月17日)
    場所:大阪府茨木市茨木川周辺
    状況:村重らが三好勢力と結び反織田に寝返り、織田方の和田軍と対峙した。兵力に劣る和田軍は時間稼ぎを行うも荒木・中川軍はこれを好機とみて戦端を開き、惟政・重朝ともども討ち取られた。
  • 【東奈良遺跡(ひがしならいせき)】昭和46年に発見された弥生時代の集落跡。その後の調査により集落は周囲1キロ以上にも及ぶ大規模なもので、いくつもの環濠のほか住居群や墓群、工房などが確認されている。また、遺跡からは銅鐸の鋳型が複数出土しており、銅鐸生産地や流通を知る上での貴重な発見となった。
  • 茨木市立文化財資料館

    銅鐸の鋳型(茨木市立文化財資料館)

見どころ・おすすめ

  • 白井河原の戦いが起こったのは、この場所から4Kmほど北に行った茨木川の周辺。いくつか史跡があるのでまとめてまわるのがおすすめ。
  • 以前は白井河原の戦いが起こった戦場近くの茨木市五日市付近に供養塔が置かれていたが、現在はこちらの公園に移動している。
  • 公園内には古墳時代に作られた代表的なハニワや出土した銅鐸の鋳型、江戸時代の土蔵などが展示されている。
  • 併設の茨木市立文化財資料館では東奈良遺跡など茨木の歴史展示がされている。無料の割に展示がしっかりとしているのでぜひ立ち寄ってみて。

史跡情報

地図
【場所】
大阪府茨木市東奈良
【付近の史跡】
[ 南西・約1.2km ] 三宅出羽守国村公碑
[ 南西・約1.5km ] 三宅城跡
[ 南西・約1.5km ] 三宅城跡
[ 南西・約1.6km ] 三宅城跡
[ 北・約2km ] 茨木城跡
主な施設
和田惟政供養塔・復元ハニワ・土蔵・茨木市立文化財資料館
利用時間
公園は常時

【茨木市立文化財資料館】
 9:00 ~ 17:00
定休日
公園は無休

【茨木市立文化財資料館】
・毎週火曜(祝日を除く)
・祝日の翌日(日曜を除く)
・年末年始
料金
無料
交通
【電車】
・阪急電車「南茨木」駅から約0.5Km
・大阪モノレール「南茨木」駅から約0.5Km
・JR「茨木」駅から約2Km

【バス】
・近鉄バス「玉櫛団地前」バス停

【マイカー】
・名神高速「吹田IC」から約3Km
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