京都府京都市にあった戦国時代の城。織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のため築城した二条城の復元石垣。
歴史・概略
京都御苑前を通る地下鉄工事を行った際の発掘調査で、信長時代の二条城石垣と堀の跡が発見された。現在は、二条城の敷地の一部であったこの場所に、発掘された石垣を復元展示している。
- 築城:永禄12年(1569年)
- 廃城:天正元年(1573年)
- 築城主:織田信長
- 構造:平城
- 主な城主:足利義昭
- 永禄11年(1568年)、信長の協力を得て上洛を果たした義昭は将軍に就任、六条堀川にある本圀寺(ほんこくじ)を仮の御所とした。しかし翌永禄12年1月5日(1569年1月31日)、三好氏の残党によって本圀寺が襲撃を受ける(本圀寺の変)。このとき義昭はなんとか持ちこたえ事なきを得たが、信長は本圀寺では防御が不十分と考え、新たに二条城の築城を開始した。築城に際しては信長自らが陣頭に立ち、数万人規模の人員を動員してわずか70日ほどで完成したといわれる。
- 信長が義昭のため築城した二条城ではあったが、二人の関係悪化によって転機を迎える。元亀4年(1573年)、義昭が信長に対し挙兵、しかし義昭は信長に敗北し京都から追放されてしまった。
これにより室町幕府は事実上消滅、主を失った二条城は天正4年(1576年)には解体されこの世から姿を消した。 - この少し西側には「旧二条城跡碑」が置かれており、また現在ある徳川期の二条城の中にはここと同様に旧二条城石垣が復元展示されている。
見どころ・おすすめ
- 現在の京都御苑は、かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
- 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているのでそれを巡るだけでもかなり楽しめる。
- ここから西に行くと旧二条城跡碑と旧二条城以前に建っていた義輝邸跡碑があるのでそちらも合わせてどうぞ。
関連動画
室町最後の将軍・足利義昭の居城 旧二条城石垣
室町幕府最後の将軍となった足利義昭のため織田信長が建てた二条城その石垣が京都御苑の片隅に復元されている#二条城#足利義昭#京都御苑
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区京都御苑 【付近の史跡】
[ 南東・約0.1km ] 閑院宮邸跡(京都御苑)
[ 西・約0.1km ] 斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址
[ 東・約0.1km ] 花山院邸跡(京都御苑)
[ 北西・約0.2km ] 旧二條城跡(足利義昭御所)
[ 北東・約0.2km ] 賀陽宮邸跡(京都御苑)
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主な施設 |
旧二条城復元石垣 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京都地下鉄「丸太町」駅 ・京阪「神宮丸太町」駅 【バス】 ・市バス「烏丸丸太町」「烏丸下立売」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約9Km ・駐車場あり |